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◇トップページ > 管理人の日記 > 2023年12月30日の記事
管理人の日記
私も、もう少し普通の年齢の時に、頑張っておけば良かったのかな…
いや、本当に、今年の私はちょっと変わったよ |
今年は、職場において、私の大きな心境の変化があった。やはり、これを触れておかなければ、この1年をまとめたことにはならない。そのため、ちょっとまとまりが付かない感じになるとは思うが、なんとか書き記しておくことにしよう。
…まず、去年のまとめ記事の時点では、私は「貯金を増やして、できるだけ早く仕事を辞める」ということを目標に掲げていた(【日記:2022/12/31】)。私は、数年のブランクののちに再就職をし、当時9ヶ月働いていたが、毎日我慢をしている状態であった。2022年は、体を多く壊してしまい、某クソウイルスについても、夏の流行で貰ってしまった。仕事にも疲れ果て、ここから逃げる=早期退職をするということだけが、人生の希望であると思っていた。
――また、人間関係についても、他人に対して「嫌い」の他には、「興味ない」くらいしか感情を持っていなかった。恋愛や結婚なんて論外で、友情すら誰にもいだけない。そんな中、定時でサッと上がり、自分のためだけに生きている毎日だった。
さて。その状況は、2023年に入ってからも、しばらく続いていた。年が明けてからも、繰り返し「貯金をして仕事を辞める」という目標を述べていたし、寒い冬を乗り切る希望は、東京旅行のFF10歌舞伎(【日記:2023/3/19】)と、6月に控えていた「ファイナルファンタジー16」の発売のみであった。
その後、4月になって、職場には、玉のような後輩たちが入ってきた。結果的に、彼らが、今回の私の変化におけるキーマンとなったのであるが、当時の私は、上司・同僚と同じく、彼らに対しても恐怖の念をいだいていた。私は、悪い意味で、普通の人間ではない。だから、侮られて、馬鹿にされて、焼きそばパンを顎で買いに行かされるような存在になるのではないかと、割とマジで思っていたくらいだ。
…ちなみに。我が職場の我が部門は、概ね50人程度の職員が在籍しているが、新人教育については、私を含む当時4名の2年生/3年生だけが居残りをして、集中的に行うという悪習が存在した。そのために、新人を含め、私は毎日1〜2時間程度のサビ残を強いられていた。しかも、それで、私含む上級生たちが「よく頑張った、お疲れ様!」みたいに励まし合うのならともかく、例によって、「本当にそんなやり方で普段仕事してるのか?」「こんな教え方で新人ができるわけがない」などと罵り合う日々が続いた。まあ、私はそういう言い方を他人にしないので、“罵られる日々が続いた”と言うべきか…。
――さて、そんな状況に、ほとほと私は疲れ果てていた。居残りが終わったあとには、誰にも挨拶せず、目すら合わせることなく、用意していた教育メモをビリビリに破いてゴミ箱に投げ捨てたあと、心の中で呪いの言葉を叫びながら、倒れ込むように家に帰る、そんな日々が続いていたのだ。
というわけで。実際の日記に残っている記録を見ると、5月末の時点で、「肉体的・時間的・精神的拘束が一線を超えており、発狂して仕事を辞めてもおかしくない」と記している(【日記:2023/5/31】)。平常業務に加え、わざわざ居残りをしてまで働き、そのうえで職員同士で削り合うような状況が、私にとって、相当こたえていたことが分かる。
…また、6月中旬の日記では、とある別職場で起きた凶悪事件に対して、犯罪者のほうに共感をするという、危険な感情をいだいてしまった(【日記:2023/6/14】)。私の中にも、隠しきれない暴力性があり、当時はそれがともすれば外側へと向かいうるような、危険な状況だったのだ。もちろん今は、少なくとも外向きに暴力性が現れるようなことは、絶対に無い。かくして、4月になってからしばらくも、私はギリギリの毎日を送っていたのだ。
最近の20代の若者たちを見ると、もう彼らに全部託しても良いのかな、と思う |
そんな状況が変わったのは、季節が春から夏に変わるくらいの時期であった。前述の、教育訓練が終わって、私は定時に帰れるようになった。また、1年生たちも、正式に配属が決まり、研修中ではなく、対等な立場として働けるようになった。
…さて。世間では、太古の昔から、「最近の若者は…」という言葉がある。そこから続くのは、曰く、「敬語が使えない」だとか「不真面目」だとか「自分のことしか考えない」だとか、そんな感じのやっかみだ。今の新入社員は、私たちの「ゆとり世代」に相当する言葉として、「Z世代」などと呼ばれているらしく、それをおちょくるような言動は、現実世界・ネット問わず、毎日のように目にするものだ。
――では、私もあえて、同じ表現を使わせていただこう。最近の若者は、本当に凄い!
真面目で、しっかり仕事を覚えてくれて、他人のことをよく考えて行動でき、私のようなダメ上司のことも助けてくれる。見た目的にも、スラッとしていて凄く綺麗で、同期との仲も良く、いつも前向きに生きている。私なんかより、遥かに優れた存在である。いいのか?
私みたいな不潔野が、彼らと関わってしまって、本当に良いのか!?
というわけで。7月くらいからの私は、後輩たちと仕事をするのが、毎日の楽しみとなった。研修期間が終わったとはいえ、まだまだ彼らが複雑な仕事の全てをマスターしたとは言えず、上級生が助けなければならない。私は、自分が新入生だった時には、“厳しく叱咤されること”だとか、“こっちは真面目にやっているのに、ふざけたような態度で応対されること”に、強い孤独と絶望を感じていた。だから私は、自分の後輩たちには、そういう思いを絶対にさせたくないと思って行動していた。職場は孤独で、怖い人ばかりだ。だから、1人くらい、私みたいな奴がいたほうが良いのだ。
…かくして、この時期の私は、後輩たちに対し、「大事にしたい」だとか「幸せになってほしい」などという感情を持っていた(【日記:2023/8/16】)。とんでもない思い上がりである。彼らなら、私なんか居なくとも、絶対に幸せを掴んでみせる。むしろ、お前は自分の心配をしてろよという感じだ。
――ちなみに。仕事面だけでなく、彼らとは私は、普通の雑談ができていた。当時の私の興味関心は、今とさほど変わらず、「◯◯という食材を美味しく調理したい」とか「××は△△で安く買える」だとか「洗剤と間違えて柔軟剤を買ってしまった」みたいな、生活系のネタがほとんどである。だが、そんな他愛無い話ができる人ですら、私が1年生だった頃には居なかったのだ。どいつもこいつも、私の履歴書ばかり見ている。そこには、よほど面白い大学名や前会社名が書かれているのだろう。私にとっては、それは失敗の歴史であって、掘り起こしてほしいものでもない。だが、奴らは、目の前に居る人間でなく、履歴書と会話するほうが楽しいのだ。そんな輩と、仲良くなれるはずが無い…。
さて。私にとって、後輩たちは、何だったのであろうか。もう二度と得られない、最高の部下であったことは間違いない。だが、それだけでなく、弟分・妹分だったし、個人的に親しい友達であり、上下関係など無い“同格の仲間”だと思っており、大切にしたい、幸せになってほしい人々だった。
――だが、現在から振り返ってみると、それはもはや、依存と形容すべき関係だったのかもしれない。何でも認めてくれる彼らに、私は甘えすぎていた。だから、それが無くなったとき、全てを失うような気持ちになってしまったのだろう。
オッサンの私は、若者たちに頼らなければ、生きていけない |
というわけで。季節が夏になってからの私は、一転して、後輩たちと過ごすのが楽しくなった。あの時の私は、過去の自分と、そして今から考えると信じられないことに、「仕事に行くのが楽しい」とすら感じていた。普通の社会人は、こんなことは思わないだろう。そう、私はちょっと変なのだ。
…だが、そんな幸せな時間は、予想だにしなかったところから崩壊させられた。私は、今年の8月中旬に、彼らの居た前職場からの異動を命じられたのである。それも、僅か1ヶ月半後に、だ。この唐突な告知が、私の精神をコナゴナに粉砕したのである。
――さて、私の職場では、「新入生は、最初の勤務地で3年前後働いたのちに、別部門へと異動させられる」というのが、定番ルートとなっていたようだ。少なくとも、私が見てきた上級生は、皆そのような路線を辿っていた。だから私も、大好きな後輩たちと永遠に働けるとは思っていなかったものの、あと1年くらいは一緒に居られると考えていた。それが、全く覚悟すらしていなかった時期に、残り1ヶ月ちょっとで終わってしまうと告げられたのだ。
やれ、今でも覚えている。“死の宣告”が行われた日付は8月23日(水)、ときメモ2記事(【日記:2023/8/22】)を書いた次の日だ。当時の私は、土日勤務&平日休みで、23日の水曜日出勤が、久々に後輩たちへと会う日であった。私も、少しは変わっていきたいと思って、前日には、服装や身だしなみを整えるため、ちょっと遠出して、普段は行わないような買い物をしていた。そして更に、その日の客の中には、後輩の一人と同姓同名の人物が居ることを見つけていたため、その件で軽くおちょくってやろうと、色々と言葉を考えていたりもした。そんな幸せの絶頂期に、私は地獄へと叩き落されたのだ。
さて。そこから先の私の没落具合は、もう目も当てられない。残り1ヶ月しか時間が無くなって、どうすれば良いか分からなくなり、無理にカッコつけようと思った結果、逆に大量の格好悪いところを見せてしまった。取り返しの付かない失敗であり、いま思い返しても、頭が痛くなるものだ。
…それでも、後輩たちは、とても優しく、私に接してくれた。やれ、この唐突な異動に対し、「次の職地でも頑張って」みたいなテンプレートは、多くの人から寄せられたし、何なら「希望してた職場ですね。おめでとう!」みたいな8倍特効打撃を当ててきた輩すら居た。だが、くだんの後輩たちは、「どうして、急すぎる」とか「寂しい」みたいなことを言ってくれた。私が思っていたところと、まったく同じである。そんな彼らだから、私も信頼できたのだ。
――やれ、今年9月あたりの私の日記を見てみると、「どうすれば良いのか分からない」「未来が見えなくなった」「精神的に不安定」みたいな発言に加えて、「生きよう」といった部類の、前向きな表現が目立つ。だが、そういう明るい言葉を多用するのは、概して気持ちが沈んでいる時である。もう、何もかもが終わることは分かっていたが、もうどうにもできず、時間が過ぎていくのを見守るしかできなかったのだ。
若者たちは、ありがとうとよく言うけど、私のほうこそありがとうだ |
そうして。9月が終わって10月になり、私はついに、異動をさせられてしまった。何もかもが終わったのである。
…やれ、サイト運営でいうと、FF5日誌では、グランエイビス戦が終わって、第2の追加ボスであるアルケオデーモン戦がスタートしていたはずだ。また、株式投資についても、ちょうど10月くらいから動き始めた。創作作品では、アニメ版の「呪術廻戦」と出会って、私の中に新たな位置を占める作品となった。その他、新職地での仕事についても、曲がりなりにもここまで3ヶ月で、少しは上達できているようで、不安ではあるものの、1コマとしての働きはギリギリできそうだ。つまり、私は、10月1日からこの12月30日までも、ちゃんと生きていたのだ。
――ただまあ、大好きな後輩たちが全員居なくなってしまって、私の中には、ぽっかり穴が空いたままである。正直、10月以降は、個々のエピソード単位で思い出せるようなことは、全くと言って良いほど無い。新入生は、入社半年が経つと、夜勤や休日勤務といった変則勤務が割り振られるようになり、逆に平日休みも入るようになる。そんな、彼らの心境が大きく変化する中で、私は一緒に居てあげられなかった。彼らが立派に成長していく姿を見届けたかったのに、それができなかったのだ。代わりに、あの陰気な地下室で、毎日毎日、税金の無駄遣いの手先をしていて、いったい何になるというのか…。
そんなわけで。私は、秋から冬の期間に掛けて、ずっと孤独に過ごしていた。
…やれ、私も最近分かったのだが、「孤独」というのは、ただ身の回りに人間が居れば解消されるというわけではない。現在の私にはよくあるのだが、雑談をしている際、周囲が大盛りあがりで笑っているのに、自分だけが「これって何が面白いんだ?」という感情をかかえつつ、周りに合わせるため、あえて愛想笑いを浮かべて見せる。そういうときにこそ、むしろ強い孤独を感じるというものだ。
――そして、この孤独は、もうどうすれば良いのか分からないというものである。以前の私は、「仕事を辞めて、1人で趣味に生きる」ということが、人生の完成形であると思っていた。だが、現段階で、例えば大量の金が手に入って、そして仕事を永久に引退できたところで、もうこの空虚さが埋められるとは思えない。今の私は、たった一人だ。そこから抜け出したいが、どうすれば良いか分からない。そういう状況なのだ。
というわけなのだが。少し前に述べた“クリスマスプレゼント”(【日記:2023/12/25】)の一件により、「自分は馬鹿で無能なハラスメント男だったから、永久にチームから外されたのだ」という考えが無くなって、心境的には、かなり楽になった。
――でもまあ、根本的な孤独は、未だに解決できていない。私が、何を為すべきか、そして今どこに向かっているのかということは、全く分からないのだ。さすがにもう、10歳以上も年下の後輩たちに甘えてはいけないことは理解できる。この2023年に彼らと出会って、間違いなく、私は変わった。そして、彼らと別れたからこそ、私は分からなくなった。私は、誰のために、何のために生きていて、これからどうするべきなのだろう…?
(2023年12月30日)
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