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2023年8月22日(火)
「ときメモ2」のFF8パロディを覚えてる?


 
鹿せんべいを持っている相手への鹿さんの暴徒化は物凄いから…(唸り声)


 “ときメモ2”こと、
「ときめきメモリアル2」は、1999年11月に初代プレイステーションで発売された、ときメモシリーズの本編第2作である。その中に、非常に堂々としたFF8パロディがあることを、皆さまご存じだろうか。
 …まず、「ときメモ」シリーズは、当時を知る人も今や少なくなってしまっただろうが、
恋愛シミュレーションの伝説的名作であり、同分野の草分け的存在となった。ジャンルとしては、“育成型ギャルゲー”とでも呼べば良いだろうか、プレイヤーが行動を選択して自分のパラメーターを高めていくと同時に、意中の女の子にデートなどを申し込み、そして卒業の日に相手から告白してもらうことを目指す。ゲーム制作の手練れであるコナミが作ったということで、基本部分の出来が良く、軟派な女の子狙いから硬派な攻略まで、奥深く楽しめる作品だ。ただし、恋愛“シミュレーション”としては0点である。こんな気軽にデートに誘える男が居るかっ!!
 ――そして、今回話題にする「ときメモ2」は、第1作のヒットを受けて作られた、
ギャルゲー界の超大作であり、個性がぶっ飛んだヒロインたちに、やり過ぎと思えるような遊び要素が魅力で、今なお異彩を放っているギャルゲーだ。だが、上位機種への移植やリマスター等が為されておらず、初代PSのディスク版を中古購入する以外では、PS3/PSP/Vitaでのゲームアーカイブスでしか遊べないというのが、本当に残念だ。

 ところで、この日記を書くためにプレイした現在の私が、最も推しているのは、
陽ノひのもと ひかりちゃんである。本作のメインヒロインと言えるキャラであり、陸上部でショートヘアーの、活発な女の子だ。やはり、女の子は、明るくて元気なのが一番である。
 …ちなみに、私が初めてこの作品に触れた、年齢2桁になった直後くらいの時は、
グラマラスなお姉さんキャラたちに首ったけであった。また、20代の頃にゲームアーカイブスで触れた際には、音楽がいいという理由で、白雪美帆ちゃんのファンを自負していた【日記:2014/12/8】。それからまた、今回で、好みが変わってきたということである。やはり、ギャルゲーは、色々なキャラクターたちが居てなんぼ、なのだ。

 やれ、話が逸れてしまったが、今回は、そんなときメモ2の中に存在する、
FF8パロディの話題である。
 …さて、“ときメモシリーズ”には、「戦闘」という
ミニゲームが用意されている。主人公の体調や運動系の能力値を参考にしてパラメーターが決まり、ターン制RPGのようなバトルを繰り広げるのだ。演出として、部活によって必殺技が決まり、パートナーの女の子も共に戦ってくれるなど、あくまで“フレイバー”的な要素が強いのだが、「負けると女の子を奪われてしまってバッドエンド確定」など、鬼畜難易度になっている場合も存在する。
 ――そして。この「戦闘」は、『ときメモ1』の時点で、サイドビュー型の視点に、宇宙を背景にした無駄にカッコいい演出など、FFシリーズをパロディにしたと言えるような出来であった。そこから更に、
予算が無駄遣いされた『ときメモ2』では、戦闘自体が3D化され、迫力のあるカメラワークなど、更にFFシリーズのパロディ度が上がっている。ここまで来ると、もはや莫大な予算を投じた高度なギャグとして捉えるべきであろう。

 が。今回、重要なことは、ときメモ2の戦闘では、BGMが、明らかに
FF8の通常戦闘曲である「Don't be Afraid」【YouTube】をパロディしたものになっているという点だ。
 …さて、FF8の通常戦闘曲は、独特のリズム感で、他のFF戦闘曲とは少し違った印象を残すBGMになっている。その曲構成が、ときメモ2の戦闘曲では全く同じであり、もはや
イントロだけで元ネタが分かるレベルである。さすが、「パロディウス」なんていう名作シューティングを作ったコナミだ。パロディ作りについては大先生というわけである。もちろん、FFシリーズお馴染みの、勝利のファンファーレまでしっかりとモノマネされており、百点満点の出来であると言える。ちなみに、FF8の発売は1999年2月なので、9ヶ月あれば、十分にコピーができるというものだろう。
 ――というわけで。今回は、私もコナミ様の
才能の無駄遣いにあやかろうと思い、このためだけに単独動画を用意してみたりもした。一応、ネット上には、既にプレイ動画は溢れているし、BGMだけの動画も投稿されていたりもする【YouTube】。よって、私がわざわざ単体の動画を投稿する必要も無いという気はするが、こうやって無駄な労力を掛けるということこそ、一発ネタの真髄である。

動画


これで付き合ってないとか、最近の若者さあ…


 というわけで。1999年に発売した
「ときめきメモリアル2」には、堂々すぎる、FF8パロディが存在する。そのあからさまさたるや、公式パロディと言える、「スーパーマリオRPG」のクリスタラー戦BGM【YouTube】に次ぐレベルのものであると言って良いだろう。
 …やれ、そのような1999年から、今や
25年にも近い歳月が経ってしまい、ゲーム業界も様変わりをしてしまった。FFシリーズは、今なお続いているが、残念ながら、ときメモ作品は、女性ユーザー向けの「Girl's Side」(女主人公を育成し、男キャラがヒロインとなるタイプのゲーム)が細々と出ているだけであり、ギャルゲーとしてのときメモは、『4』を最後に、打ち切りも同然という状態になってしまった。
 ――が、そんなFFシリーズとときメモシリーズの、奇跡の
非公式コラボが、1999年に行われていたのだ。これは、もう二度と、繰り返されるものではないだろう。だから、FF8を遊びなおすときには、そうやって、国内の最先端ゲームの間でパロディをされる時代があったということを、思い出してあげよう。やれ、タイトルの「ときめきメモリアル」というのは、このように、最高のゲーム作品たちにときめていた時代を懐かしむ言葉だった…?(意味不明)

(2023年8月22日)

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2023年8月16日(水)
新型コロナ 陰性1年…周りの人を傷つける恐怖


 

自分が苦しむ以上に、誰かを傷つけるというのが恐ろしい


 あの恐ろしい新型コロナウイルス感染症に、私が感染して苦しめられ、そして陰性の判定が出てから、
今日でちょうど1年が経つ。そういうわけで、久々に、この忌まわしいウイルス災害について、振り返ってみることにしよう(関連記事…【日記:2022/8/8】【2022/8/16】【2022/9/16】
 …まず、皆さまご存じの通り、このウイルスは、この夏に
再ブームを引き起こしているようだ。私の職場では、従業員にも客にも、そういう人々が頻繁に出てきている。私の職場は、それこそウイルスとの主戦場と言えるような場所であるため、これから先もずっと、決して油断はできないものだ。
 ――しかし、そのように、現場で砲弾が飛び交っている中で、
日本聖府のお偉いさん方は、“5類移行”だとか何とかほざいて、新型コロナウイルスへの特別扱いを、既にやめてしまっている。だが、気持ちは分かるというものだ。経済のメッカである欧米圏は、早期から「何も見なかったことにしよう」という対策を採用していた。そして、あの中国ですら、諦めてノーガード戦法に頼ってしまっている。そんな中、もはや日本が孤独な防衛戦を続ける意味は、全く無い。観光業という現代日本における数少ない成長分野を制限するのも無意味だし、子供たちの掛け替えない経験を奪い続けるのも、もはや限界であろう。
 だから、私が、この“5類移行”で頭に来ているのは、マスクの付け方とか、仕事量が増えただとか、そういうことではない。
従業員に出されていた補助金が消えて、月あたり約10000円の減給となった、ただその1点だけである。

 しかしながら、私は、ここ最近になって、改めて、新型コロナウイルス感染症の恐ろしさを思い知る機会があった。それは、このウイルスの、
「自分だけでなく、周りの人まで苦しめてしまう」という点である。
 …やれ、上で書いた通り、私の職場においても、新型コロナは
復刻ブームを巻き起こしている。その中で、ある日、私は、“陽性判定を出した人の1人”と、共に働いていたことが分かった。だが、私自身は、マスク着用や手指消毒といった対策をしっかりしていたし、既に感染症本編を経験済み、かつワクチン接種も定期的に行っていたため、まさか自分が発症するようなことは無いと油断をしていたのだ。
 ――しかし、その夜になって、私は、意識がもうろうとする思いと、37.5℃程度の発熱、そして咳の症状を感じ始めた。
これはヤバい! 皆さまご存じの通り、新型コロナウイルス感染症は、1回かかればそれで終わりというわけではなく、場合によっては複数回の発症をすることもあるという。

 しかも、1年前の感染と決定的に違っていたのが、
今回は、他人に配ってしまった可能性が大ということである。やれ、最近の変異ウイルスがどうだかは知らないが、去年8月の時点で、このウイルスは、「被感染から発症まで2.5日が掛かるくせに」「発症の2日前から与感染力がある」というバグまがいの感染能力を持っており、もはや身近に感染者が居た場合、阻止は不可能と言えるレベルにすら達していた。
 …しかし、今回の私は、ごく身近に感染者が出ていたにも関わらず、「自分はもう罹らないだろう…」と安心をしきっており、それを朝に知ったその日も、普段と何ら行動を変えることなかった。だがその夜になって、まさかの、
再度のウイルス感染症のような症状が現れ始めたのである。
 ――そして、今回の私にとって決定的だったのが、よりにもよって、
自分が大切にしたいと思っていた人たちに感染をさせてしまったという点だ。やれ、私自身も整理をしきれていないのだが、近頃の私は、少し変わったと思う。だが、私が「守りたい」だとか「幸せになってほしい」と勝手に思っていた人たちを、まさかの私自身が、傷つけてしまう結果となってしまったのである。なんという思い上がりで、皮肉なことであろうか。これから先に、自分自身が感染症で味わう症状など、どうでも良かった。ただただ、彼らを苦しめてしまうことが、みっともないし、申し訳ない。やれ、私も最近、少しだけ真面目に仕事へと取り組んでいると思っていたが、その仕打ちがこれか。何という、何という酷いことなのだ。

 さて。結果を言うと、その8月頭の感染騒ぎは
未遂に終わり、私自身も、そして私に関わった人たちも、誰一人として、発症せずに終わった。私自身の、37.5℃の発熱&風邪症状については、たぶん、その日の私が初めて作った肉じゃがに、虫でも入っていたのであろう。
 …だが私は、この騒動で改めて、新型コロナウイルスの、
「自分だけでなく、他人も苦しめる恐怖」というものを、身に沁みて思い知ったのである。もし、本当に自分が感染していたとして、自分自身が味わう苦しみは、もう既に予想が付いており、我慢ができる。だが、身近な人たちを苦しめてしまう屈辱には、どうにも我慢ができなさそうであった。このウイルス感染症は、そういう人間の心理的弱さをも、的確に突いてくるのである。やっぱり、このウイルスって、宇宙人、はたまた未来人が放った、地球侵略の第1手なのでは…。

実際は、バカが感染するし、他の人にも配りまくるんだよね…


 ちなみに、陰性判定が出て1年が経った今となっても、いわゆる「後遺症」は、完全には消えていない。
 …まず、発症から半年くらいの間は、2〜3日という短い間隔で、
「咳」「頭痛」「意識がもうろうとする」と言った、軽い風邪のような症状に、頻繁に悩まされていた。それから更に時が経った現在となっては、さすがに症状が起きる頻度は減ったものの、喉の痛みや熱っぽさはちょくちょく感じており、市販の風邪薬は、今も決して胸ポケットに手放せない物になっている。
 ――しかしながら。これほどまでに、新型コロナウイルスが人間社会に定着してしまった現代となっては、
もはや、体の弱い私にとっては、感染自体は避けられないものだったであろう。もし私が、感染対策をしっかり行っていて、かつ人間的にも尊敬できるような人から、このクソウイルスをうつされるのであれば、それはもう、「まあ、仕方がないかな」と、許容ができていたはずだ。まあ、現行の職場の人間関係もあるので、細かく述べることはしないのだが、わざわざこういうことを書くというのは、つまるところ、私自身はそうではなかったということで…。

 というわけで。私は、感染1年が経った現在では、自分自身の症状なんて、もはや予想が付いているため、どうでも良い。それよりも、むしろ、
「ウイルス感染によって、他の誰かを傷つけてしまう危険性」にこそ、恐怖を感じるものだ。
 …もちろん、周りの人を感染させてしまったところで、根本的に悪いのはウイルスであって、人間たちに責任があるわけではない。もし、感染させた相手が、心通う人たちであれば、きっとそうやって、私を慰めてくれることであろう。
だが、世の中は、そんなに単純ではない。自分が存在したことで、大事にしたい人たちを苦しめてしまったという結果は、ずっと私の足枷となり続けるのだ。
 ――やれ、新型コロナウイルスは、人類の肉体的・社会的弱点だけではなく、そのような精神的弱さまでを突いて、我々に弱体化を仕掛けてくるのである。やっぱりこれ、
未来の火星人が作った、地球人弱体化のための細菌兵器だよ…。

 そんなこんなで。この新型コロナウイルスは、「5類移行」だとかほざいて、
聖府が存在を無視し始めた。だが、ウイルス自体が消えたわけではなく、今なおその脅威は健在である。とりわけ、「自分が感染させることによって、他者を苦しめてしまう」という点については、一向に“弱毒化”する気配が無い。
 …しかしまあ、私が最近になって思っていることは、
意外と世の中の人々は何も考えていないという点である。私だったら、もし誰かにこんなクソウイルスを配ってしまって、それで一生の障害を負わせてしまったりしたら、その人に対して、ずっと謝り続けたい気持ちでいっぱいとなるだろう。だが、世の中の人は、そんなことまで考えておらず、それどころか、むしろ自分が誰にうつしてしまったかすら把握をしていないという始末なのだ。ウイルスさんよ、人類の多くが、ここまで他者に対して無責任であったということまでは、全く考慮していなかったようだな…。
 ――でもまあ、私自身は、これからも、マスクはしっかり鼻まで隠して付け続けるし、手指については定期的な消毒を心がけようと思う。私が愛する人にも、私のことを嫌う人にも、そして私が無関心な人たちについても、
誰にだって、あのクソウイルス感染症のような苦しみを負わせたくはないのである。必要な場面での感染対策をしっかりするか否かという点も、意外と、そういうところを重視しているか否かということではないだろうか…。

(2023年8月22日)

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2023年8月11日(金)
【雑談】飲みもの事情[2023夏]


 
日本聖府くんが少し圧力を掛ければ、すぐ給料が上がる業界なのですが…


 2023年が始まり、冬が終わって春が来て、今や夏の真っ盛りとなっている。いくつもの日々が通り過ぎていったが、
未だに、値上げの流れだけは止まる気配が無い。ありとあらゆるものが高くなって、私たちの生活を圧迫している。
 ――やれ、私は、若者が未来に希望を持てるような、そして老人が安心して人生を卒業していけるような、そういう社会が来てほしいと願っている。だが、誠に残念ながら、
現実はその真逆という感じである。夢も希望もありません…。

 とまあ、そんな環境の中で、値上げに対抗する
「節約」の知恵は、もはや現代社会における必須スキルとなりつつある。
 …その中でも、特に私がこだわりを持っているのが、
飲食費の節約である。飲まず食わずで生きていける人間は、理論上も存在しない。食事は、三大欲求の一つともされ、それに対する向かい合い方は、人によって異なり、まさしく人生そのものだ。そして私は、お金というコストを節約するために、「お金の掛からない飲食」を、徹底的に追求することにしたのだ。
 ――ただしもちろん、
バランスというものは存在する。お金は大事だが、それだけが人生全ての価値ではない。また、ケチった結果、栄養価が偏ってしまい、健康で文化的な最低限度の生活を損なうようなことがあってしまえば、それは本末転倒というものだ。そういった兼ね合いの中で、各人がそれぞれに節約を考えていく。そういう時代なのである。

 ところで。私は、「数千万円単位での貯金を作って、早期に仕事を引退する」という方向性を、人生のゴールとして掲げていた
【日記:2022/12/31】など)。しかしながら、最近では、ちょっと決意が揺らいでおり、今後どうしようか、決めかねている自分が居る。やれ、クラピカさんの名言だが、現実は、そんなに単純では無かったのである。
 …だが、私が今後、どのような方向性を選ぶとしても、
お金というものは重要である。未来がどうなるか分からないからこそ、しっかりと、まずは100万円単位で、そして、ゆくゆくは1000万円単位での貯金を作っておきたい。よって、引き続き、食費の節約は重要なのだ。
 ――ちなみに、その成果であるが、私は、決して高いとは言えない賃金の会社に勤めており、
日本聖府のお偉いさん方が引用してニンマリできるような、都合良く給料が上昇している状況というわけでもない。だが、それでも、もはや勤続2年目で、年間200万円の貯金は余裕という状況に来ている。それは何故かと言うと、世間の値上げ圧力より、私の節約パワーのほうが圧倒的に上回っているからだ。

 そんな飲食費の節約の中でも、本日は
「飲み物」にこだわって、紹介をしてみようと思う。何故、飲み物だけなのか? それは、いつもながら、食べ物までセットにしようとしたら、長くなりすぎそうだったからだ。というか、飲み物だけでも十分に長いんだが…。


その@:水出しお茶


 
適当にやっていればよろしい


 日本社会で、極めて優れている物の一つが、
「水道水」の品質である。清潔で、いつでもどこでも使用可能であり、しかも料金が極めて安い。とりわけ、「飲料水」として考えた場合、もはや無料サービスと表現しても良いくらいの、絶大なコストパフォーマンスを誇っている。正直、自動販売機のコカコーラが180円とかいう富士山頂のような値段になっている現状では、この水道水の活用は、私には、必要不可欠であるように思える。
 …しかしながら。水道水をそのまま飲むという場合には、無視できない問題が存在する。一時期に存在した
(今も?)水道水はマズい・臭いといった印象を見逃すとしても、水道水は温度については管理をされておらず、特に夏季は“ぬるま湯”のような舌触りとなっており、あまり積極的に飲みたいと思えるものではない。また、風味についても、水道水は、基本的には“無”であり、その他、地域や季節・配水設備の状況などによっても味は異なってくるが、どれもマイナスの影響となることが多い。

 だが、そのような、
水道水の飲料としての問題を大幅に改善できるのが、「お茶」なのだ。やれ、お茶と言うと、上から下まで様々な品質があり、例えば古代中国では、横山光輝三国志で知られるように、孝行の息子が親に対して買い与えるような、高級品という扱いであったこともある。しかしながら、現代日本では、庶民が手軽に楽しめる娯楽という扱いになっており、なんと、「1リットル向けの水出しお茶」が、50パック入りで150円程度という、ちょっと正気ではない低価格で販売されている。
 …そして私は、この1リットル向けパックを、100円ショップで売っていた
2リットルのボトルに入れ、冷蔵庫で冷やして、主要な水分補給手段として運用している。規格の更に2倍に薄めているということになるが、色としても味としても、しっかりお茶のそれであるため、何ら問題は存在しない。また、冷やすことで、水道水が持つ“温度面の問題”を解決できる。さらに、水道水に含まれる塩素は、意外とアッサリ抜けていってしまい、その後は衛生面での問題が発生するのだが、私は、1日に2リットル容器をちょうど1つというペースで消費しているため、長く残って雑菌が繁殖しまくる心配も無いだろう。

 そういうわけで。私の、この
「水出しお茶」は、2リットルで約4円という、ぶっ飛んだハイパフォーマンスで用意ができる。しかも、水出しお茶のパックは、常温で年単位での保存が可能であり、もうひとつの主体である水道水のほうも、災害時でも無い限り、質・量ともに高止まりした水準で調達可能だ。
 …というわけで、もやし
【日記:2023/2/3】に引き続き、この水出しお茶の存在により、私の金銭感覚は更に壊れてしまった。この、2リットル4円という常軌を逸したコストパフォーマンスにより、500mlで200円に迫るような自動販売機の飲料はもちろんとし、イ○ンで買える1.5リットルあたり100円程度のノンカロリー炭酸水ですら、割高に感じるようになっている。いやもう、このお茶を上回るものは、水道水の直飲み以外はありえないでしょう…。
 ――ちなみに、うすいさちよ28歳独身さまのように、お茶のパックを何回も使う作戦も試してみたが、
そちらは駄目だった。2回目の時点で、ちょっと引くくらいに色が薄くなっている。まあ、1パックたったの3円程度なのだし、さすがに使い捨てで良いだろう。


そのA:焼酎割り


 
はあ…美少女と飲みに行きたい


 「趣味は貯金です」と言えるくらいの私だが、その毎日の生活には、
飲酒の習慣が存在する。やれ、この年明け辺りからの値上げの激しさにより、酒自体を排除しようと考えたこともあったが、私にとって、日常生活の疲れを忘れさせる効果と、飲みながらダラダラと創作活動をする楽しさは、なかなか捨てがたいものであり、「飲酒の習慣」自体を無くすことは、容易ではないように思われた。
 …ただ、私がスーパーで買っている「ストロングゼロ」のようなお酒についても、1缶が
税込140円と上がっており、2缶なら280円、痛飲気味の3缶なら420円となる。下手すると、1日の食費よりも、夜の酒代のほうが上回る恐れがあり、我ながら、なかなかのバランスの悪さだ。うん、食べ物のほうにお金を使って調和を取れば良いかな…。

 さて、そんな飲酒料金をリバランスするために私が思いついたのが、
「自分でお酒を割って飲む」という方式である。スーパーでは、2リットルとか4リットルとかの大容量で、かつ、20%とか25%とかの高いアルコール濃度を持つお酒が売っていることがあり、私は毒殺用か何かかと思っていた。だが、あれは、自分で他の飲料と組み合わせて、手製のカクテルを作るための材料であったのだ。
 …というわけで。私の運用としては、まず、イ○ンで売っている4リットル入りの25%焼酎を、
約1600円で購入する。お客さま感謝デーの5%割引対象にならないとされているが、しっかり80円値引きされる。焼酎を選んだ理由としては、アルコール量に対する価格が最も安かったからである。ちなみに、いま知ったのだが、焼酎は、通常の利用であれば賞味期限を気にしなくて良く、かつ、常温保存が可能という、メリットだらけのお酒らしい。
 ――そして、この焼酎を、
計量カップで100ml測り、他の飲料で割って飲むのである。私の使っているステンレスタンブラーは、容量が400ml程度であるため、4倍希釈でアルコール度数は6.25%と、ちょうど良い感じになる。飲む量は、その日の気分によるが、上限はコップ5杯という感じであり、最大でもそこで止めるようにしている。アルコール量で言うと、ストロングゼロ級の500ml缶×3で135g(1500ml × 9%)、私の手製お酒がコップ5杯で125g(100ml × 5杯 × 25%)ということで、計算上、だいたい同じくらい飲酒量になっていたようだ。

 そして。
気になる価格面だが、自作の焼酎割り飲料において、まず、アルコール成分の「焼酎100ml」については、1600 ÷ 40ということで、40円である。続いて、それを何で割るかだが、私は、「最初の1杯のみは、ノンカロリーの炭酸飲料を使い、以降はお茶で割る」という方針にしている。
 …さて、ノンカロリーの炭酸飲料は、お馴染み、イ○ンのプライベートブランドの一品であり、1.5リットルで100円程度である。コーラ・サイダー・ジンジャーの3種類があり、飽きづらいのも嬉しいものだ。
今年に入って10円値上げしたがな!!!! 焼酎を割る場合に必要量な量は300mlであるため、その値段は20円だ。ということで、炭酸割り焼酎の値段は、1杯あたり、40 + 20 = 60円となる。
 ――次に、お茶割りの場合、前述の通り、お茶は
2リットルで4円であるため、こちらの値段は、ほぼ0円として考えて良いだろう。アルコール部分の値段は変わらず40円のため、お茶割り焼酎の1杯の値段は40円だ。
 そして。合計価格であるが、私が限度と定めている計5杯
(アルコール125g)の場合、60 + 40×4で、220円である。ストロングゼロ級×3缶(アルコール135g)の場合は、140×3 = 420円であったため、およそ半額で飲めるということになった。

 ちなみに。酒には、“おつまみ”が付き物である。しかしこちらは、ご存じの通り、
コスパという概念が存在しない世界から来たような価格と分量であって、以前から、購入注意の一品となっていた。コンビニなんていう高貴なお店で、欲望のまま酒とおつまみを買ってしまったりしたら、1晩だけで1000円札が旅立ってしまうようなことすらザラである。だがしかし、酒を飲んでいると、塩辛いお菓子が食べたくなるのは、事実である。つまみもまた、酒と同じく、蠱惑的な魅力を持っているのだ。
 ――というわけで。私も、手軽かつ安く済ませられるつまみを色々と検討し、最終的に、
かつおぶしが最強という結論に至った。方式は、次のとおりだ。まず、みそ汁お椀のようなサイズの容器に、かつおぶしを盛り、ポン酢・醤油・タバスコなど液体系の調味料で適当に味付けをして、最後に唐辛子と胡椒をまぶして辛味を追加する。これで終了だ。私は、かつおぶしを、使いやすい小分けパックではなく、大袋で買っているため、厳密な判断はできないが、恐らく、値段としては10円程度であろう。味も、自分で調節できるのだから、ちょうど良くないわけが無い。材料は、全て保存と調達が容易であり、調理(?)についても、電子レンジすら使用しない楽勝さである。洗い物についても、お椀とスプーン(箸)以外は発生せず、手軽さも嬉しい。あれ、かつおぶしおつまみって、神なのでは…?

 そんなわけで。私は、純粋な生存には不要なお酒を、節約の観点を交えながら、楽しんでいるものである。
 …ちなみに、肝心なこととして、これらの焼酎割り+かつおぶしおつまみの“味”であるが、
ハッキリ言って、良くは無い。私は、少し前に、居酒屋へ行く機会があった。その店も、典型的な大衆居酒屋という感じで、決して極端に優れた物を出しているわけではないはずだ。だが、私の口には、酒もつまみも、涙が出るくらいおいしく感じた。世間一般の人々は、こういうものを普段から飲み食いしているのか。そう思うと、なぜ私は、金が無いわけでもないのに、自分から惨めな生活をしているのだろうか。本当に、涙が出そうな気持ちであった。
 ――が、
その値段を見ると、私はいきなり落ち着いた。居酒屋で出されるお酒の値段は、まあ、場所代も含むからだろうが、1杯400円程度と、なかなか迫力がある。たった1杯で、私の2夜分の酒代なのだ。まあ、私は少なくとも、これに慣れてはいけないと思う。こういったお酒は、ご馳走・自分へのご褒美・誰かと親睦を深めたい時など、特別な日に使うべきものである。ナポレオンとかいうライトニングさんのパクリみたいなオッサンが言っていた通り、全ての戦術は、戦力の一点集中だ。つまり、普段は節約して、本当に大切な時にこそ、お金を費やすべきなのだ。


そのB:やっぱり最後は水!


 
普 通 に 汲 め や


 私は、職場では、
水筒に入れた水を飲むようにしている。しかも、職場の水道で汲んでいるのだ。
 …やれ、これには、いくつかの理由があって、まず、私は、
ここ数年、ずっと歯を悪くしている。その理由を、私は知覚過敏だと思っており、極端に冷たい・または熱い飲食物を避けていた時期があった。そして、冬場だと、家の水道は非常に冷たいのだが、職場の水は温度管理が行われているのか、少しだけ温かい。というわけで、職場で水を汲むことにより、冬季に“冷たすぎる水が口に入ること”を避けようとしたのだ。
 ――まあ、結果的に、
知覚過敏は全く関係なかったのだが、この時の習慣が残っており、私は今でも会社で水筒の水を汲むようにしている。まあ、ごく僅かであるが、自分が払う水道代を節約できるという理由もあるし、何より、私の水筒は500ml程度しか容積が無く、後述する“うがい用途”も含めると、家から持ってくるだけでは、とても量が足りないのだ。

 さて。もう先走りで書いてしまったが、私はこの“水筒の水”を、そのまま飲むだけではなく、
うがい用途にも使用している。
 …その理由として、私は歯医者から、
「おいお前、歯が汚ねえんだよ。磨くだけでなくて、グチュグチュってうがいしろや」(※こんな口調ではありません)ということを言われており、そのアドバイスを元に、1時間間隔くらいで、水分補給と同時に、うがいをするようにしている。しかも私は、3食の直後+夜寝る前に歯を磨くという韓国式歯磨き術を導入している(さらに、歯磨き剤を吐き出したあとにうがいをしない欧州式も同時採用し、就寝前には糸ようじも使う)。よって、社員食堂で食べる昼ごはんの後にも、“歯磨き前のうがい”のため、やっぱり水が必要だ。
 ――というわけで。私は、職場において、うがいのために多くの水を消費している。よって、家から汲んできたとしても、結局のところ、途中で足りなくなり、会社で補充をする必要が出てくるのだ。また、「うがい」「飲用」を分けて考え、私が水道水以外の飲料を持ってくるとすると、うがいのための水と容器を別口で用意するか、またはミネラルウォーターでうがいをするという
貴族みたいな行動に走ることになる。それら全てを考慮し、やはり「水筒を持ってきて、職場で水を汲みつつ、うがいと飲むのに使う」が最善となるのだ。

 ちなみに、お茶のところでも書いたが、水道水の風味については、“あまり好きではない”という人が多いと思う。だが私は、それ自体が、
なんともまあ、幸せな悩みだなあと思うのだ。皆さまは、例えば、ヘルメットの上にタオルを乗せて夜露を集めたりだとか、水たまりにハンカチを落としてそれを絞って飲んだりだとか、泥水をすくって上だけ飲んで捨てたりだとか、そういう経験をしたことは無いだろう。いや、普通はねぇよ。雨水を集めて飲むことすら、したことが無いはずだ。だが、非常にピンポイントとはいえ、私にはそういう感じで、“飲み水の大切さ”を知る機会があったのだ。
 ――だから、“水道水”という、こんなにも安全で綺麗な水が、安価で・いつでもどこでも・大量に調達できるというのは、
とてつもなく恵まれていると思うのである。関係各所の努力の賜物であり、日本社会が立派に誇れる要素の1つだ。だから、わざわざ高い金を払って、ミネラルウォーターや浄水器などを買う必要は、私は無いと思う。

 なお、その他の水道水の用途として、今は夏なので、アイスコーヒー
(安いインスタントコーヒーの素に、これまた安いミルクを少量入れ、氷と水で薄めただけの手軽な物)や、そうめんの汁の希釈など、「冷たい水」を特別に使いたいという場合もある。そのために、私は、四角くて横長タイプの1リットルペットボトルに水を入れ、冷蔵庫で冷やしておき、必要な時に注ぐようにしている。
 ――なお、“ペットボトルの別用途での再利用”については、洗浄や乾燥が難しいことから、あまり推奨されないことが多いようだ。でもまあ、家で水道水を入れ、冷やしてすぐに使い切る、もちろん口も付けない…という方式ならば、大丈夫だろう。



ファルシの管理する社会って、物価とか凄く安そうで、正直うらやましい…


 というわけで。私の飲み物事情は、
水出しお茶・焼酎割り・水道水を組み合わせた感じで、とにもかくにも、低コストを意識した運用となっている。
 …ちなみに、お酒こそ、「ストロングゼロ級の缶」「焼酎の炭酸&お茶割り」と、完全な置き換わりが完了した。だが、その他について、例えば、以前まで愛飲していた「ドリップコーヒー」「豆乳」といったものは、今なお、同時並行的な運用となっている。

 まず、
ドリップコーヒー【日記:2022/4/4】については、低カロリーかつ低コストで、かつカフェインを含む脱法ドラッグとしての効果がある。ただ、ドリップ式は、アイスコーヒーにする場合の相性が悪く、色々と試してみたが、あまり美味しくは作れないという感じだった。もちろん、アイスにしたい理由は、この暑さが原因ということなので、また寒くなってくれば、消費量は復活していくだろう。
 …いっぽうの、
豆乳【日記:2022/12/8】については、現環境で追い出されつつある。まず、私にとっては、豆乳自体が、“保管の容易さに着目した、牛乳の代用品”という扱いだったのだが、そこから更に、水出しお茶の活用によって金銭感覚がバグった結果、豆乳の常飲は、なかなか気が引けるようになった。私が普段使っているコップの容量は300ml程度であるため、温めたコーヒー豆乳飲料の値段は、だいたい40〜50円というところだ。余裕で料理を1品追加できるくらいの値段が、“ただの飲み物”に掛かってしまうのである。やっぱり、金銭感覚が壊れてきている…。
 ――というわけで、現在の豆乳の使用は、
もっぱら「スープ料理」としての活用になっている。その心は、豆乳を素材として何か新たな調理を行うという意味ではなく、「この食事には栄養価が足りなさそうだなあ」と思った時に、豆乳を投入するのである。ただの水分補給ではなく、それ自体を料理として考えるのなら、40〜50円という値段も、決して高くは無いものだ。

 とまあ、こんな感じで。飲み物事情についても、私は様々に、「節約」という観点を取り入れている。
 …まあ、前述の通り、「食」に関する考え方は、人それぞれであり、なかなか一筋縄ではいかない。そこに金銭感覚まで入り込むと、話は更に複雑になってくる。ただ、
どう考えても、これから日本は貧しくなっていく。だから私は、大昔の日本社会がそうであったように、清貧で質素な生活を心がけるべきだと思うのだ。値上げの止まらない自動販売機やコンビニの飲料を、1日何本も買って、ポイポイと捨てていく。そんなものは、恐ろしいことである。

(2023年8月22日)

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2023年8月1日(火)
朝の挨拶=ログインボーナス


 


 ここ最近、私は、朝の挨拶は
「ログインボーナス」ではないかと、強く感じているのだ。
 …まず、皆さまは、
「単純接触効果」というものはご存じだろうか。心理学用語であり、要は、「嫌いでない物は、関われば関わるほど、親愛度が高まる」という効果だ。人間関係はもちろんとし、テレビコマーシャルによる商品への愛着や、音楽・芸術といった娯楽、そして味や匂いなどといった感覚にすら、当てはまるということらしい。「単純接触効果」は、心理学の言葉として、最も有名な部類に入るものであり、知っている人も多いであろう。

 では、その「単純接触効果」が、朝の「おはよう / おはようございます」という何気ない挨拶と、どう関係があるのだろうか。それは、
朝の挨拶は、自分が関わる全ての人に、何のネタが無かったとしても、1回ずつ話しかける機会とできるからである。
 …さて、世間の皆さまが、どう感じているかは分からないが、私は、いわゆる“普通”の人々と会話をすることに、日々プレッシャーを感じている。
私の話は、どうやら“普通”の方々にとって、全く面白くないようで、簡単な雑談ですら、気軽には行うことができない。やれ、新入社員なのに年上の、しかも身長180cmの巨漢が、仏頂面で黙っている様子は、恐らく多くの人々にとって、“すごく付き合いづらい”と感じさせるものだったのであろう。
 ――が、そんな私ですら、「朝の挨拶」では、
毎日1回だけ、必ず全ての人々に話しかける権利を得られるのだ。しかも、ネタを考える必要すらなく、「おはようございます」の一言だけで十分なのである。とりあえず、やっておくだけで、職場での円滑な人間関係に繋がる。完全なるやり得である。ほら、伝説の動画も言っているではないか、「挨拶するたび、友達ふえるね」って…【YouTube】 ※閲覧注意)

 ちなみに、負の方向での使い道になるのだが、こちらの挨拶に対して返事をしない輩は、
ほぼ100%に近い確率でクズだと断言できる。
 …やれ、皆さまも分かっているだろうが、学校・職場で、立場が“下”だと
される部下・後輩が、こちらの挨拶を無視することは、決して無い。ならば、挨拶をスルーするのは、同格か、または自分が“上”だと思っている人間の所業である。だが、私の前職に関わる礼式にも、しっかりと書かれていた。「敬礼を受けた者は、答礼を行うものとする。」と。職務上の立場などは関係なく、敬意を受けたのならば、それと同等の礼儀を返さなければならないのだ。
 ――だから。
自分が上であれば、“格下”からの発言を無視して良いという考えは、間違っているのである。私は、そういう、「自分が上であれば何をやっても許されると思っている人間」を、心の中で“センパイ様”と呼んで、激しく嫌悪している。幸い、いま勤めている職場の現在の部署には、そういう“挨拶を無視する人間”は、ひとりも居ないようなので、ひとまずは安心して務められるというものだ…。

おはよう! 朝4時に、何してるんだい?


 そして。最近では、私はその、朝の挨拶という“ログインボーナス”に、さらに一工夫を加え、
名前を呼ぶようにしているのだ。
 ――まず、私は、老若男女・部下上司・家族や他人といった関係を問わず、これまで、朝の挨拶は、
「おはようございます」で統一してきた。その理由は、“私”は、誰に対しても敬意を持って、落ち着いて会話できるような男性を、“大人”であると思って、ずっと憧れてきたからだ。子供だったからな…。

 でもまあ、それから遥かに長い時が経った今となっては、あえて、その丁寧な口調を崩してみるのも、それはそれで良いのではないかと思った。
 …だから、今の私は、職務上で許される範囲で、
「おはよう、○○さん(くん)!」という、くだけた言葉を遣い、“朝のログインボーナス”を獲得することにしている。その理由は、その人の名前を呼ぶことにより、確実に親しさを上げられる、つまり、ログインボーナスの価値を高められるからだ。
 ――やれ、“名前”というものは、親から与えられた物であって、本人ではどうすることもできない。だが、それと同時に、その個人に与えられた、決して消し去れない記号であり、その扱い方というものは、重要な意味を持っている。だから、
名前を呼ぶということは、対人関係において、大きな意味を持っているのだ。確かに私は、仕事の中で自分の名前を呼ばれることによって、ドキドキする機会が多いように思う。まあ、どちらかと言うと、「おい○○、お前、この件について始末書を書いとけよ」的な、負の意味でドキッとさせられることのほうが、遥かに多かったりするのだが…。

 というわけで。まとめると、朝の何気ない挨拶は、家族・学校・職場と言った人たちに対して、
確実に親愛度を高められる“ログインボーナス”となっている。これは、完全なる“やり得”であるため、心ある人は、部下にも同僚にも上司にも、そして関連企業の人たちにも、しっかり行わなければならない。加えて、もし、相手の名前を知っているのなら、それを呼ぶことで、“ログインボーナス”の価値を、更に高められると言えるだろう。
 ――そんなわけで。私は、明日からも、積極的に、自分が関わる人たちに対して、朝の挨拶をしていくことにしたい。それは、好きな相手に対しては、更に親愛度を高める手段となりうるし、逆に興味が無い奴らに対しては、それらとの関係を推し量る手段となりうる。
“挨拶”は、やればやるだけ、得をするのである。だから、どんどん挨拶をしていこう。いいじゃないか、タダだし!

(2023年8月22日)

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