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管理人の日記
地球防衛軍4 DLCラストの「星の牢獄」←星自体が閉じ込められているという表現が渋い!
死の運命と戦う女騎士というだけでも、へっぽこな干物姉さんというだけでもない! |
今日は、「細かすぎて伝わらないゲームの好きなところ」の第2弾として、PS3とPS4のソフトについて書いていこうと思う。くしくも、日本で人気の“2大RPG”が名を連ねることになった。なお、PS5がプレイしたソフトが現状0本なので、もちろん選外です。
(関連記事…【@ SFC/PS/PS2】【B GB/GBA/DS/PSP】【C 3DS/Vita/スイッチ】)
*PS3/ファイナルファンタジー13:【(イラッ)そうだ、私が何とかする】
こういうゲーム全般記事では、FF関連は避けようと思っていたのだが、PS3ではあまりゲームをやっていないので、あえて本丸のFF13から選んでみた。
このセリフは、2章のセラがクリスタルになるシーンのものである。ここでは、セラの元に、ライトニングとスノウが駆け寄って会話を行うのだが、その主導権を巡った静かな争いが展開されている。上の「そうだ、私が何とかする」は、ライトニングの言葉であり、セラが「コクーンを守って」という願いを述べたのちに、まずはスノウが「セラもコクーンも、みんな守る!」と応じ、その後にライトニングが喋ったセリフだ。
これについて、まず、喋った言葉自体、「『私が』なんとかする」ということで、スノウを完全に無視している。それどころか、その直前には、スノウの方向を見てあからさまに顔をしかめており、当時のライトニングとスノウの関係が険悪であったことが伺える。「人の生き死に」や「世界の滅亡」を前にした者たちとしては、感情的で、実にしょうもない主導権争いである。しかし、そういうところに人間らしさが現れていて、物語としては良いと思うのだ。
ちなみに、この会話については続きがあり、直後の3章で、スノウはライトニングにぶっ飛ばされている。だが、それで懲りるスノウではなく、7章ではホープに対して見事なまでの地雷発言を繰り返しており、もはや斬新なギャグなのではないかと思わせるくらいだ。実生活だと、そういった「感情がむき出しになる部分」は、見るに耐えないようなものが多い。しかし、ゲームなどでは、そういうところこそが名シーンとなりうるのである。
…やれ、こういった微細な感情を、文字だけでなく、「キャラクターの声」や「表情」と言った要素でも表現できるようになったのは、ゲームハードが進化したからと言える。FFは、PS2時代からこういった部分にこだわっているので、そういうところにも着目して遊んでみると面白いであろう。
聖竜「私自身が世界となることだ」 |
*PS4/ドラゴンクエスト11:【いつか邪神を討ち滅ぼす勇敢なる者たちが、巡り合うことを願って…】
ドラクエ11の物語は、明確な3部構成となっており、その第3部のクライマックスでのセリフからである。
まず、ドラクエ11では、「生命の大樹」というオブジェが存在し、第1部〜第2部において、何度も重要な役割を果たす。この見た目でダンジョンでないというのには、当時とてもビックリしたが、それ以外では、物語のキーに相応しい存在となっている。
そして、クライマックスの第3部では、更に驚きの事実が明かされる。生命の大樹は、かつて邪神に挑んで倒された聖竜の成れの果てであり、いつの日か自分が庇護する世界から「勇者」が現れ、邪神を撃破してくれることを願い続けていたのだという。そして、ラスボスの撃破後は、更なる動乱を予言し、「もし、自分が闇に落ちてしまったときは、勇者の剣で討ち滅ぼしてほしい」と嘆願する。
その後、スタッフロール前後のムービーでは、「ドラクエ1」や「3」を彷彿とさせるシーンが挿入される。やれ、発売前は、「主人公=ドラクエ1の竜王では?」という予想もあり、それはハズレであったが、ドラクエ11が全てのドラゴンクエストの祖という部分は、あながち間違いとも言えなかった。
ちなみに、スタッフロールについても、「初期ドラクエシリーズ曲のアレンジメドレー」および「過去作の名シーンを収録した映像」であり、明らかにシリーズを一区切りしようという考えが存在している。既に、「ドラゴンクエスト12」は発表されているため、どのような作風になるか、楽しみである。
ということで。「生命の樹」もとい「聖竜」は、ドラクエ11のみならず、シリーズ全体のキーとなりうる重要な存在である。しかしながら、作中の描写から推測するに、上記の説明は非常に一方的な解釈であるようだ。
…というのも。そもそも、ドラクエ11の世界には、最初は邪神が住んでおり、そこに聖竜が挑んで返り討ちにされたのだという。その後、聖竜は、生命の樹へと姿を変え、勝手に「ロトゼタシア」と呼ばれる世界を作り、生命の循環を管理し続けた。そして、“ロトの勇者”となりうる者が現れたときに、「勇者の剣」を授け、邪神討伐の使命を与えていたようだ。どっちが邪神か分からん。
――やれ、物語の展開上、聖竜は“いいヤツ”風に描かれているが、別の面から見てみれば、まさに“神そのもの”という傲慢さである。いくら歴史は歪められるとはいえ、さすがにこれは酷いだろう。FF13世界といい、どうして神々というのはこう…。
第3回では、携帯型ゲーム機に話を移したいと思います!
(2022年1月29日)
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