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管理人の日記
「やり込みinFF」も、50年とか途方もない年数を続ければ、いつか注目される日が来るかも…?
私としてはほぼ掘り下げられなかった同級生枠の智恵ちゃんが好きです(聞いていない) |
最近、「エロマンガ先生」という漫画を読んだ。いきなり酷い題名が出てきたが、この作品は、奇妙な関係性の兄妹が、自作ライトノベルのアニメ化を目指して挑戦をしていく、ラブコメ漫画である。原作として、同名の小説(ライトノベル)が存在し、2018年には全12話でアニメ化もされたそうだ。
…さて、私は当初、この物語を、何と言うことは無い、絵がかわいいだけの作品だと思っていた。まあ、絵が良いのはその通りなのだが、それだけでなく、私には、この作品に、どこか共感を覚えるところがあったのである。しかしながら、とりあえずそれは、主人公の兄と妹たちが置かれている環境ではないであろう。どちらかと言えば、引きこもりは私のほうであったわけだし…。
――しかしながら、【作品のWikipediaページ】を見て、私は納得するに至った。どうも、「エロマンガ先生」のテーマは、「創作って面白い!」ということである。作中では、主人公である兄妹を始めとし、全ての登場人物が、「創作活動」に対して、真摯な姿勢で取り組んでいる。何らかの衝突や、人物同士の関係性の変化が起こる時も、創作性の違いを発端としていることがほとんどである。そして私も、こんな無料公開のサイトではあるものの、一応は、「創作」を一番の趣味とする人間だと自負をしている。すると、そのようなところで、私は「エロマンガ先生」の登場人物たちに、親と子にも近いような年齢差と、我が身には全く縁のないラブコメ世界・ラノベ空間を超えて、不可解な共感を覚えるに至ったのだろうと思われる。
ちなみに、このサイト:「やり込みinFF」の運営が「創作」ということの意味について説明しよう。もちろん、「ゲームを遊んで感想文を書く」ということは、一種の創作活動である。しかし、それ以上に、“ゲームのやり込みプレイ”ということ自体が、私は創作だと思っているのだ。
…というのも。例えば、先に、数ヶ月の挑戦の後に達成したロングイ戦タイムアタック(【FF13/ボス戦タイムアタック:第38話】)のような高度なやり込みプレイは、決して楽しいだけで達成できるようなものではない。既存の記録を分析し、様々な失敗を繰り返し、体をボロボロにして、もう諦めてしまおうと何度も考えながらも、莫大な労力を費やして、最終的な突破に成功するものである。結果だけ見れば、何ということは無い、僅か2分のゲーム動画かもしれないが、その裏には、桁外れの努力が詰まっている。そういう作品だからこそ、私にとって、その“2分程度のゲーム動画”は特別な物となった。そして、読者/視聴者の皆さまにとっても、そういう視点を持っていただけることで、動画や日誌といった作品が、より共感できる物となってくれることであろう。
――さて。私はかつて、ゲームプレイを「登山」と例えたことがある(【日記:2021/12/13】)。その心は、ただ楽しいだけでなく、「右往左往して、苦しいことが存在するからこそ、最終的には、より大きな感動が待っている」という意味である。それは、創作についても、まったく同じことが言えるであろう。私にとって、ゲームプレイは、登山であり、創作活動なのだ。
「ロングイを1分55秒で倒せたんだぜー!!」「そう…(無関心)」 |
さて。「エロマンガ先生」の登場人物たちは、プロとして金銭的にも独立をしているか、またはそれを目指している。だが私は、このサイトの運営やゲームのやり込みプレイを通してお金を稼ぐ気は、全く無いのである。
…その訳は、もちろん、「お金を得るよりも、自分の作品を多くの人に見てもらいたい」という、一見すると前向きな理由も存在する。しかしながら、本当のところは、「私の創作活動では、人からお金は取れないし、それで自分の生活を成り立たせるなど、到底できない」と分かっているからである。
やれ、ゲームのやり込みプレイで生計を立てるなど、まず不可能だ。例えば、少し前にアップロードしたFF13のロングイ戦は、作戦立案段階からだと、約半年という莫大な時間を費やして、ようやく達成に至った。そして、人間が独立して生計を立てるには、普通は月10万円くらいは必要であろう。そして、あまり興味が無いので調べていないのだが、YouTubeの広告収入は、1再生につき0.1円程度だという。ならば、【ロングイ戦のYouTube動画】は、600万再生をされないと、私の生活は成り立たなくなり、明日からの食費や住居費すら怪しいということになる。
…逆に、動画の投稿間隔を週1回(月4.3回)として、10万円の収入を安定して得るには、1動画の再生回数が、平均して23万回も必要ということになる。これだけできて、やっとギリギリで生活を成り立たせられるというレベルなのだ。
――というわけで。「やり込みプレイ」なんていう、メチャクチャなこだわりが必要なものは、そもそも安定収入が必要な労働には向いていないのである。もし、それで生活を成り立たせたいと言うのなら、それこそ本当に、「『やり込みinFF』の文章を読むのが世界で一番好き」というような、資産家の★美少女女子中学生★と結婚するくらいしか無いであろう。そう言えば、「エロマンガ先生」にも、そんな感じの登場人物が居たな…。
そういうわけで。私は、自分の最も好きな“創作活動”でお金を稼ぐことは諦め、“世を忍ぶ仮の姿”で、今日も明日も働いて、自分の生活を成り立たせるだけの収入を得ている。もっとも、今の仕事は、“続けられないほど嫌い”というわけではなく、むしろ、今後も持続していけそうな、前向きの手応えを得られている。それは、正規の新卒就職から10年以上が過ぎた私にとって、途方もなく“有り難い”ことであろう。私は、日本のどこかの都道府県の、誰でも訪れられる職場で働いているので、読者の皆さまともいつか会うかもしれないし、ひょっとすると、既に会っているかもしれない。
…だが、それとは別として、私には「自分が好きな創作活動で、お金を得たい」という気持ちも存在する。それは、「生活の糧を得るためなら、何でもするし、自分の本来のあり方さえ捨てても構わない」という意味ではない。「自分の創作が、『お金を払っても良い』というくらいに価値あるものだと、社会に認めさせたい」ということである。
――やれ、皆さまも、スマートフォン時代のネットコンテンツとの付き合い方で分かっているように、「お金を払う」と「払わない」では、天と地ほどの差が存在する。お金を払うということは、社会において、それだけの価値が存在するということなのだ。永遠の夢物語であるが、私も、“自分の創作物”にそれくらいの存在価値があると、いつかは世間に認めさせてやりたいと思っているのだ。
「ゲイム」=「Game」、つまりゲームこそ人類の最も優れた娯楽だということ(意味不明) |
そして。私は、こんなにも奥深い創作の沼に、多くの人を引きずり込んでやりたいとも思っているのである。
…やれ、日本を超え、世界に目を向けていただければ分かるように、インターネットによって、人類は進化するどころか退化した。これほど優れた交流ツールがあるのに、人々は日々、「人種」「男と女」「若者と老人」「富める者と貧しい者」みたいな分かりやすい対立構造で、お互いを卑下しあっている。かつて、「エースコンバット3」が示唆していたように、人間は、夢のような進歩した道具があっても、未だに原始的な感情で争い合うしかないのだ。
――だが、私は、それを解決する手段が、「創作」であると思うのである。自分を表現し、高めていく手段は、争いだけではない。痛みも苦しみも乗り越えて、何か自分のやりたいことを表現するというのは、人間だからこそ為しうることである。そして、「創作」は、かつては商業作品でしか有り得なかったが、今やインターネットを通して、誰でもできるようになった。「ロングイ:1分55秒討伐」みたいな作品も、インターネットがあったからこそ、成り立ったと思うのだ。だから、私としては、この時代を、原始的な争いではなく、前向きな創作活動へと使ってほしいと思うのである。
(2022年6月8日)
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