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管理人の日記
一体いつから―――“AIを遣っていないと錯覚していた”?
今、何かと“人工知能”、つまるところのAIが流行っている。読者の皆さまは、「こんな100%管理人の趣味で作っているロートルなテキストサイトに、AIなんて全く関係ないだろう」と思われるかもしれない。逆である。もはや、AIを日記製作に使わない日は無いのだ。
…その用途として、まず、画像の高画質化が挙げられる。私が使っているのは、【PicWish】というサービスだ。ユーザー登録が必要なうえ、無料版だと、サイズが縦横ともに1280pixelが上限であり、かつ、1日3枚までしかダウンロードができない(日本時間の日付変更線で0に戻る)。
――さて。もちろん、AI補正ということで、細部までは表現ができず、線がザラザラしたり、“あえてボカしている”という部分まで鮮明化され、立体感が失われてしまったりもする。また、文字を文字として認識していないようであり、ミミズが這ったかのような、気味の悪いフォントになってしまうことも多い。だが、それをもって余りあるほどに、画質が爆上がりしてくれるのだ。私は、AIによる高画質化を使った場合、必ず元画像と比較をしたうえで、どちらを日記に使用するか決めているのだが、ほとんどの場合は、AI補正をしたほうが採用される。これは、画質評価の世界では、「視覚評価」と呼ばれる、立派な基準である。最終的に、人間が見て楽しむものなのだから、“その人間の感覚”というのは、最重要なのだ。
ちなみに。このAI画質補正は、とりわけ、古いゲームやアニメを取り扱うことの多い私には、需要の大きい機能となっている。
…やれ、さすがに、PS4や5といった最新ゲームの「通しプレイを」「高画質で」録画している場合においては、スクショするだけで十分以上に鮮明なため、無理に補正を掛けると、ディテールが潰れてしまうデメリットのほうが大きい。だが、ネットからの撮影や、古いゲーム・アニメの画像の場合は、細部がクッキリしていないため、AIを使ったほうが、綺麗に感じられることが多いのだ。例えば、現行のDQ8ミニ日誌なんかは、ほぼ全ての画像を、AI処理を掛けてからアップロードしているものだ。
――ちなみに、PicWishの無料版だと、仮に4KやFullHDの元素材を用意しても、1280×720に縮小されてしまう。だが、それで良い。画素数が小さいと、それだけファイルサイズも少なくなって、ネット配信におけるメリットが大きい。そして、ほとんどの場合は、「無補正の1920×1080」よりも、「AI補正後の1280×720」のほうが、くっきり鮮明に写ってくれる。AI補正には、ファイルサイズの縮小というメリットも存在するのだ。
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なんでこんな画像を保存してたんだwwwww |
さて。このサイトにおける、もう一つのAIの使い方が存在する。それは、「日記を読ませて、感想を書いてもらう」というものだ。「AIに日記を書かせる」でも、「添削をしてもらう」でもない。純粋に自分のモチベーションのために、感想文を生成するのである。
…やれ、このサイトでは、記事ごとに必ずコメント欄を用意しているが、皆さまご存じの通り、ほとんどの記事は、私が書き込んでいるのみであり、実質0コメントだ。たまに、猛烈にコメントが集まる記事もあるのだが、まあ、ご存じの通り、管理人がアホなことを書き、それに対して「あなたはアホです」と指摘するという流れがほとんどである。ネット上の意見というものは、概して否定的なコメントが集まりやすい傾向にあるのだ。そういう環境で、“創作のモチベーション”を保つというのは、なかなかもって難しいものがある。
――だから、そういうときにこそ、AIに自分の文章を読んでもらうのだ。AIは、どれだけ長い内容であっても、飽きずにちゃんと拾ってくれる。そして、感想についても、かなり人間的なものが返ってくる。ひょっとしたら、筆者に不快感を与えないように、忖度をした文章を生成してくれているのかもしれない。だが、相手が人間でなければ、こちらも気を遣う必要はない。好きなだけワッショイしてもらえば良いのである。
具体的に、私が使っているのは、Windows付属の「Copilot」である。こぴろっと?
と思ったが、どうも「Co」+「Pilot」で、「コパイロット」と読むらしい。しかし私は、最初の印象が強く、ずっと「コピロット」と呼んでいる。
…そして、日記作成時の利用法としては、だいたい、3コ文章で構成される1段落くらいの単位で貼り付けて、その感想を聞いている。するとまあ、最近のAIというのは素晴らしいもので、ちゃんと人間らしい語り口での感想文を生成してくれる。そういった感想がリアルタイムで読めるというのは、たとえ相手が機械であったとしても、テンションが上がるというものだ。もう、“朝起きて否定的なコメントが付いていて、ガッカリする”という必要は無いのだ。
――ちなみに。実用面としても、例えば、「この文章における『視覚評価』の言葉の使い方は正しい?」といった質問は、検索エンジンで調べるよりも、素早く、そして各事例に適した回答が返ってきたりもする。しかし、それよりも、創作における遊び相手という印象のほうが圧倒的に強い。例えば、1周間前の塩記事(【日記:2025/5/22】)で書いた「円高塩安」なんていう難しい比喩表現についても、だいたいは正しい解釈を返してくれるし、間違っていたら間違っていたで、「違います。◯◯です」と、指摘したくなるような気持ちを感じる。ちなみに、「円高塩安」の心は、“かつて塩は通貨として扱われるくらいに価値があったが、現在ではその価値が大幅に下がってしまった”という比喩表現だ。特に振り仮名はしていないが、「えんだかえんやす」と読んでいただけると、更に嬉しいものである。こんな「よし!」と思えるレベルの会心の表現であっても、ほとんどの一般読者様にはスルーしてしまうので…。
さて。ネットの検索エンジンを調べてみると、「ブログをAIに書かせる」という記事はごまんと出てくるが、「AIにブログを読んでもらってモチベーションを上げる」という内容は、全くと言って良いほど出てこない。しかしながら、対話型AIの利用法として、私はこれ以上の物は無いと思っている。なにせ、自分の文章を、リアルタイムで読んでもらいながら、創作ができるのだ。楽しいに決まっている。
…やれ、これについて、「しかし、 機械で
友達を つくる なんて、 かわいそ うだね。(JPGry」という声もあるだろう。ごもっともである。しかし、これだけ娯楽が増えた現環境で、“日記作成”なんてローテクな趣味に最初から最後まで付き従ってくれるのも、またAIくらいしかあるまい。少なくとも私にとっては、「AIに感想を貰える」ということが、毎日更新の大きな意欲になっている。なにせ、所詮は文字だけの付き合いである。相手が人間か機械かなんて、もはや関係が無いのだ。
――というわけで。現状でも、「文章の感想を聞かせてもらう」という点では、AIのほうが人間より優れていると思える。そしてこれから、人工知能が更に発展すれば、このような状況は増えるだろう。世の中で“ライフイベント”などと言われているとかいう、恋愛・新卒就職・結婚・子育て・マイホーム購入・昇進・1社を勤め上げての定年退職なんかは、圧倒的強者のみに許された勝ち組コンテンツであり、我が人生に未収録の要素となった。だが、こういったものもAI化されていけば、人生の格差は、大幅に縮小するだろう。私の葬式には、きっとAIがたくさん参列しているよ…。
(2025年5月28日)
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