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【草】弊社、福利厚生として「休日」を提供してしまう… / やり込みinFF

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2025年10月3日(金)
【草】弊社、福利厚生として「休日」を提供してしまう…


 
うん、確かに「休日」は、合理的ではあるんですよ…


 我が社では、かつて福利厚生として、旅行やスポーツイベントなど、ちょっとした社内レクリエーションを提供していた
らしいが、それが今年は、ついに「休日の提供」となった。末期感が凄い。
 …まず、「提供していた
『らしい』とはどういうことかと言うと、私が2022年に入社してから、この手のイベントは、一度も行われていないからである。その理由はもちろん、例のウイルス騒ぎ(コンピューターウイルスではない)なのだが、それがひと段落という現状況でも、全く再開される気配が無い。下手すると、二度と行われることは無いのかもしれない。
 ――そして、以前も軽く述べたような気がするが、例年だと、中止されたイベントのための予算:1万円弱が、だいたい夏の始まりくらいに支給されていた。まあ、
取られていた金が返されるだけという気はするが、それでも、決して少なくない額のお金がもらえて、多少なりとも気は休まるものであった。しかし、これすら今年は0円となった。我が社は、国が商品の価格を決めているため、周りが好き勝手に値上げする中、一切の価格転嫁ができない。そのため、業界全体で、急速に経営が悪化している。よって、イベントはもちろん行えないが、その費用分の返金すら用意できない。そんな我が社が、ついに福利厚生として提供し始めたのが、「休日」なのだ…。

 ところで。「休日」という福利厚生は、確かに非常に合理的ではある。
給料が貰えて、かつ、立場を失するわけでもない休日が、嬉しくない社員は居ないだろう。リア充(死語)からぼっちまで、高齢者から若者まで、そして幹部から下っ端までと、誰もが無駄なく役立てられる。会社としても、特別な予算や手順は必要なく、ただ1日、職員を出勤させないだけで良い。参加率・利用率は、確実に100%となる。これ以上ない、必殺技的な福利厚生なのだ。
 …しかしながら、休日は、
それこそ強すぎであり、人生のワンパターン化に繋がる。基本的に、自分のやりたいことしかやらないので、予想に反することが起きづらいのだ。とりわけ、“人と人との偶発的な出会い”が発生する確率は、ほぼゼロと言える。皆さまご存じの通り、人間関係というのは面倒くさい。「全ての悩みは人間関係である」なんて言葉すらあるくらいだ。だが、そこから稀に、突然変異的に、人生に大きな喜びを与えてくれることが起こり得るのも、また事実である。経済と同じで、人と人が交流するというのは、それ自体が尊く価値があることなのだ。
 ――やれ、職場内で結婚している上司を見てみると、“普段の仕事で全く関わりがないような別部門の人”が相手だったりする。その馴れそめを聞いてみると、だいたい「社内レクリエーション」と返ってくるものだ。それはまさに、
偶発的な出会いが無ければ生まれなかった関係性だ。そこまで行かなくとも、ひとことふたこと、仕事以外の言葉を交わすだけで、人間関係というのはグッと深まる。私も、現在では、SE部門として、様々な場所に顔を出す立場である。そして、機械関連では、必ずしも満足の行く対応はできず、むしろ我慢をお願いするようなことも多い。だからこそ、職員との協力関係は必須であり、それによって良い業務ができるだけでなく、仕事を通した自己肯定感の確立にも繋がる。幸い、私は、たいへん覚えやすいビジュアルをしているため、こういう社内イベントなんかは、顔を売るのに、うってつけの機会のはずだった。

 そういうわけで。確かに私も、「休日の提供」というのは嬉しいものであり、取得をしないわけがない。だが、そこから
「偶発的な巡り合い」という可能性が奪われていること、そして、「経営破綻寸前の会社が苦肉の策で出した案」ということに、何とも言えない口惜しさを感じる。こういうのは、後になってから、手遅れだと気付くものなのだ。
 …やれ、皆さまご存じの通り、
人生というのはFF13であり、直前と違う行動をすればするほど、評価が上がる。そして、“社内レクリエーション”というのは、会社という日常の中に、絶妙な感じで非日常を持ち込む、まさに最高の手段であった。人々は、面倒だなあと思いつつも、それに半強制的に参加することで、意識・無意識の両レベルにて、恩恵を受けてきた。そんな利点があるからこそ、一見すると無駄な「社内イベント」が、少し前まで受け継がれてきていたのだ。
 ――だが、今の我が社には、そんな無駄を楽しむ余裕が、心理的にも金銭的にも、無くなってしまったのかもしれない。きっと、そういう時代に入社した私は、不幸な世代なのだろう。福利厚生において、「休日」という必殺技は、確かに合理的だ。だがそれは、
ひたすら必殺技だけを連打するゲームと同じで、ワンパターンでつまらないのである。

(2025年10月3日)

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