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管理人の日記
なんかChatGPTがやたらと文章を添削したり続きを書いたりするんだが、そういう使い方をしてる人が多いのか
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「十二鬼月っていう超強い鬼が出たら絶対に1人で戦うな、柱に任せろ」と徹底すべきだった |
映画も放送中の「鬼滅の刃」において、味方陣営の「鬼殺隊」と、鬼たちとの戦いで、最終的に勝敗を分けたのは、「柱稽古」だと思うのだ。
…まず、「鬼滅の刃」のラスボスである“無惨様”こと、
――ちなみに、無惨様が鬼となった初期の話として、「自分を鬼に変えた医者を殺害するが、実はその医者だけが、太陽光を克服する方法を知っていた」というエピソードが存在する。アホすぎて信じがたいが、無惨様の頭無惨さを考えると、絶対やったに違いないという謎の説得力がある。
しかしながら、ではでは、その無惨様と敵対する「鬼殺隊」が有能かというと、そんなことは全く無く、むしろいい勝負をしている。何故そう判断できるかというと、鬼殺隊の問題点として、圧倒的な人命軽視があり、これが無惨様とまったく同じだからだ。
…まず、作中世界の戦力差としては、「
――そして、戦略上で重要なこととして、人間側も鬼側も、敵の居場所をハッキリとは掴めていない。そのため、情報収集が極めて重要であり、まず敵がどこにいるかを突き止めなければ、戦争を始めることすらできない。これらの要素を総合すると、敵味方の合理的な作戦としては、「まずは多数の戦力を分散させて小競り合いを起こしたうえで、『柱』や『十二鬼月』が居ると判断した場所に、精鋭を複数送り込み、数的優位を作ったうえで敵を各個撃破する」になると思われる。
というわけで。鬼との戦争に勝つためには、人手が極めて重要であり、その命は最重要事項だ。とりわけ、強力な“十二鬼月”と出会った時には、戦闘を柱に任せて、即座に逃走をしなければならない。人命も「情報を持ち帰る」ということも、両方とも重要であり、死んでしまうなど、もってのほかだ。
…しかしながら、これが徹底されていなかったのは、作中の描写からして明らかである。例えば、アニメ第1シリーズの山場となった「
――その後、深夜になって、「柱」2名(冨岡義勇・胡蝶しのぶ)が到着し、ほぼ無傷のまま残った鬼たちを蹂躙して、事態は収拾した。だがこれは、判断が遅い!というやつであり、2名の投入は間違っていないが、時期が遅れたせいで、大量の隊士たちが犠牲となった。恐らくは、総員500人程度と思われる鬼殺隊が、2桁人数を失うというのは、極めて大きな失敗だ。そもそも、アニメ版の描写から、過去に、那田蜘蛛山では、累によって、5人の隊士が一度に未帰還となった事件があったようだ。それを重く見て、柱を中心とした部隊で一気に攻め入っていれば、サイコロステーキ先輩はサイコロステーキにならずに済んだのだよ!
その他にも、人命軽視の例としては、鬼殺隊の新入隊員を募るための「最終選別」が挙げられる。内容は、“鬼のひしめく山で、1週間生き残れば合格”というものであるが、実戦以上に強烈であり、毎回、半分以上が戦死する。鬼殺隊は、政府非公認の暴力団であるため、法的な問題は無いが、そもそも鬼殺隊には人員数が必要であり、“最終選別まで来れた”という時点で、常人とは違う能力・意欲を持っていることは間違いない。それを大量に死亡退場させるような訓練は、どうかしているのだ。
…そして、それに関連し、第2話から登場する「
――というわけで。無惨様の鬼命軽視(?)は周知の事実だが、鬼殺隊も大概であり、実際のところ、この2組織は、非常にいい勝負をしている。なるほど、「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」という名言は、大正においても成り立っていたのだろう。
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人も物も、そう簡単には補給できない時代だぞ(大正も令和も) |
というわけで。鬼も鬼殺隊も、人材をどんどん使い捨てにする無能集団だったのだが、両者で決定的に違ったのは、鬼殺隊が、最終決戦に挑む前に、「柱稽古」と呼ばれる大規模訓練を行ったことである。まさにこれが、直接的に勝敗を分ける要因となったように思うのだ。
…さて、私は、アニメを「柱稽古編」まで見ただけ(先週公開された映画版クライマックス第1作および、原作漫画は未読)であり、「無限城」における最終決戦の展開と結末は、大まかにしか知らない(劇場版、楽しみにしてます…)。だが、人間側が、一般隊士まで投入した総力戦で挑んだ一方で、鬼陣営は、いつものように好き勝手に戦った。その結果、上弦たちは全員が倒れ、最後に無惨も討ち滅ぼされてしまったという。
――やれ、勝敗を分けた理由は明らかであり、鬼殺隊は“隊”としてチームで挑んだが、無惨様は、自分さえ居れば何とかなると思い込んで、結局1人で戦ったからだ。確かに、全ての鬼の始祖であり、不死身と言えるくらいに強かったのかもしれない。だがしかし、鬼殺隊の全戦力を同時に相手するには足りなかった。だから負けたということであり、当然の結果である。
さて。ファンの間ではよく語られることであるが、例えば、くだんの「パワハラ会議」で無意味に始末された下弦の鬼たちが、この最終決戦に投入されていれば、下級隊士の相手は十分にできただろうし、4人が一斉にかかれば、柱1人を行動不能にするくらいはできたかもしれない。“柱+かまぼこ隊”のように、上弦+下弦でチームを組む形にするのも、良いだろう。鬼たちは、鬼殺隊に負けず劣らずの人材不足…鬼材不足なのであるから、もっと人員を大切にする(人員の数を確保する、人員の配置を工夫する、負けそうならば撤収させる)必要があったのだ。
…また、直接的な戦闘以外でも、無惨側には、「
そういうわけで。無惨様が勝つためには、恥を忍んで、「無惨稽古」をするべきだったのだ。無惨が上弦を指導し、上弦が下弦を、そして下弦は名も無き鬼たちを、それぞれ訓練する。それにより、下位の者たちが鍛えられるのはもちろんだが、上位の者にも学びがある。若者の新たな視点が気付きを与えてくれるとともに、性格や能力を知ることができ、適切な人員配置につながる。相互の信頼関係が醸成されれば、組織運営にも好影響がある。
…さて、それらの具体的な例として、浅草で無惨が鬼にした名も無き男性は、「肉の種子」という、無惨ですら足止めできるような強力な血鬼術を持っていた。こういうレアな能力者を発掘して、適切に活用できれば、無限城での戦いは様変わりしていただろう。また、鬼殺隊の一般隊士たちは、最終的に柱の盾となって、大半が戦死をしていった。しかし、そのおかけで、最高戦力が長く生き残り、希望を繋げることができたとも捉えられる。いっぽうの鬼には、信頼関係が全く無かった。ここぞという場面ですら、命を有効活用できなかったのである。柱と一般隊員も、最初は距離があったのだが、それが「柱稽古」によって縮まった。心理的な壁をなくす意味でも、柱稽古は重要だったのだ。
――その他、「新人には基礎体力」を、「中堅には応用技術」を、そして「幹部は戦略的な用兵」を学ぶといった感じで、訓練の方法も工夫できるだろう。鬼陣営も、確かに、「刀鍛冶の里」編では、「@補給拠点を突き止めて(情報収集)」「A対多数戦に長けた上弦を(適材適所)」「B2人同時投入し(戦力の集中)」「C敵の後方から削る(戦略的攻撃)」という無惨様から出たとは思えないような作戦行動をした。その後も、鳴女を上弦として採用したり、一般鬼にも“下弦程度”と称されるほどの力を与えるなど、多少は失敗から学んでいる感があった。だが、やはり多少であり、そして判断が遅い(※本日3回目)ということもあって、やはり、柱稽古ほどの画期的さは無かったと言える。
そういうわけで。勝敗の決め手は、鬼殺隊は「柱稽古」をしたが、鬼たちは「無惨稽古」をしなかった。これが全てだ…。
――やれ、「柱稽古」については、「原作で数話のエピソードを無理やり引き伸ばした」だの「話が全く進んでいない」だの「最終決戦を劇場版にするための宣伝アニメ」などと散々な評価だが、最終戦への影響、そして鬼陣営との対比を考えると、地味どころか派手に重要だったということが分かる。そういうわけで、令和の人間社会で働いている皆さまも、無惨様のような無惨な結果にならないよう、ちゃんとみんなで協力していこうね!
(2025年7月24日)
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