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【鬼滅&呪術廻戦】今の流行りは「説明」? / やり込みinFF

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管理人の日記
渋谷事変=キメラアント編

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2022年4月24日(日)
【鬼滅&呪術廻戦】今の流行りは「説明」?


 
この漫画も説明が多かったけど、これは心理戦がテーマの作品なので…


 最近ヒットしたジャンプ漫画と言ったら、
「鬼滅の刃」「呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)の2つである。両者は共に、独自の世界観を持ったバトル漫画であるが、作風として説明が多いという共通点も存在すると思う。
 …まず、
私は、これら2作品をそれほど好きになれなかった。「鬼滅の刃」については、無料公開されていた漫画1巻を読み、アニメも第1話を見てみたのだが、特にそれらの次を追ってみたいとは思わなかった。また、「呪術廻戦」についても、一大シリーズであった“渋谷事変”のクライマックス近くまでをコミックスで読む機会があったが、内容としては半分も理解できておらず、最後まで「HUNTER×HUNTERの代用品」という印象を拭いきれなかった。これら2作は、今も様々な形で展開が続いているが、世間の流行とは裏腹に、私としては、あまり好きになれなかった作品という印象である。

 さて、これらの2作品は、両方ともアニメ化が為されている。その作画クオリティが異様に高いということも知られており、両作品ともアニメ化から流行が拡大した感がある。しかしながら、
説明についても、特にアニメ版では顕著であると言える。
 …具体的には、私がアニメ「鬼滅の刃」の1話を見た時は、主人公と敵が一太刀を交えたのちに、止まって
「(今の攻撃はなんたらかんたら…! だったら、あーだこーだになって…いや! それだとなにがしそれがし…)」みたいな長いモノローグが入り、その後に激しいアクションシーンが入って、また主人公の独白が入り…みたいな演出が記憶に残っている。これは、頭脳系キャラとの心理戦が行われた場面ではなく、あくまで通常の戦闘シーンである。当時、既に、鬼滅が“社会現象”とも呼べるようなヒットを飛ばしていたが、これらのシーンを見て、私は「言うほど面白いか?」と感じてしまったのだ。
 ――また、「呪術廻戦」においては、HUNTER×HUNTERの影響を強く受けているためか、能力の発動条件などが細かく決まっており、しかも世界観的に難読漢字を使った名称が多い。そのため、こちらも読むためにはかなりの労力を要し、物語全体の理解度が下がる理由にもなった。

 ちなみに、あまりにも説明が長いためか、「呪術廻戦」のほうでは、
“相手に対して説明をすると、技の威力が上がる”という「術式開示」なるシステムまで用意されている。能力バトル漫画において、自分の能力を読者に説明しつつ、かつ敵味方の駆け引きを成り立たせるための設定と言えるだろう。

旧シリーズのガバガバ具合は本当に凄い


 ただ、作風として「1から10まで説明をする」というのは、
今の時代に合っているのかなとも思う。
 …というのも、ネットが一般層に広く普及した結果、作品の論評として、とにかく
“揚げ足を取る”というものが増えた。少しでも難点があれば、そこに突っ込みを入れて、批判的な言説とする。肯定よりも否定のほうが、意見としては伝わりやすいからである。それに、何かを批判すると、極めて簡単に、その対象よりも偉くなったような充足感を得ることができる。これが、ネットが批判だらけになる理由である。
 ――よって、その手の批判を避けるために、作中で、何から何まで作中で説明をするのだ。そうやって説明を用意しておけば、「よく分からない」という批判が合ったとしても、「○○ページに書いてある」と反論ができる。
自信を持って反論ができるというのもポイントであり、「批判意見に対する批判」で、相手を打ち負かした感覚が得られる。これもまた、“感想を共有する”という部分まで含めた、ネット時代の娯楽の楽しみ方かもしれない。

 ただ、
私は娯楽にまで整合性は必要ないと思っている。例えば、ここ数年で私が最も好きになった漫画の「キン肉マン」は、特に旧シリーズの頃は、滅茶苦茶な展開をすることで有名な漫画であった。それでも、昭和のジャンプを代表する漫画の1作となってきたのだ。
 …また、私が最も好きなゲームであるFF13については、「造語が多い」「結末が意味不明」などと言われたが、そういった意見をよそに、私はストーリーを解読すること自体をやり込みプレイとして楽しんでいった。例えば、初代『13』の時点では、クライマックスの展開について、いろいろと想像の余地があったように思う。だが、シリーズ内続編の『13-2』は、
前作の批判意見に安直に応えたようなゲームであり、エンディング周辺の不可解な展開についても、「女神エトロの干渉」とハッキリ断言され、想像の余地は無くなってしまった。
 ――また、それとは別の件として、更なるシリーズ内続編の『ライトニングリターンズ』では、
超常の存在である「ファルシ」に、“機械神”という二つ名が付けられた。確かに、現実世界で例えるのなら、“機械で出来た神のようなもの”であろう。しかしながら、ファルシはファルシであり、機械神ではない。作中でのイメージが確定したのちに、あとから更に別のイメージを付け加える必要は、私は無いと思う。

 というわけで。鬼滅や呪術廻戦のような、
「何でもかんでも全て説明をする」というのは、ネット時代の娯楽に合っているのかもしれない。
 …ただ、
私は、娯楽にそこまでの説明は必要ないかな、と思う。娯楽は、現実世界ではなく、あくまで作り話なのだから、作中での整合性さえ取れていれば…いやむしろ、作中での整合性すら無くとも、何でもありだからだ。もちろん、“緻密な物語展開から来る面白さ”というものもあるだろう。だが、それで勢いを失ってしまったり、説明が多すぎて逆に分かりづらくなってしまっては、作品の評価としてはマイナスにならざるを得ないのである。
 ――まあ、FFのムービーが、少しアクションをして、その後にボソボソ喋り、再び動いたあと、キャラの心情から技の威力まで一つ一つ言葉で説明をして…という
ターン制バトルになってほしいかと言えば、明らかにノーである。娯楽を、仕事の説明書のようにしてしまう必要は、私は無いと思う。

(2022年4月24日)

登録タグ/ 漫画一般
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