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管理人の日記
自分で選んだほうがゲームは楽しいのですよ
あなたっていい人ですね(非リアを惑わす呪いの言葉) |
先日26日は、あのPSvita/「ネットハイ」の発売1周年であった。と言っても、俺がプレイしたのは少し後の12月になってからなのだが…。何はともあれ、このような完全新規作で、ましてや通常ならばクリアすれば終わりとなるテキストアドベンチャーで丸1年間熱が冷めないというのは、俺のゲーマー人生全てをもってしても異例と呼ぶべき事態であり、どれだけこの「ネットハイ」が自分の趣味趣向に合っていたかということを示しているだろう。この作品もまた、ゲーマー人生で何度も出会えるわけでもない、「傑作」と呼ぶべきものだったのだ。
…ちなみに、「ネットハイ」のゲームとしての内容は、ご存じネット世界を舞台とした討論バトルなのであるが、その紹介に関しては既に3回も書いている(【2015/12/27】・【2016/2/8】・【2016/7/16】)ため、詳しい説明はそれらに譲ることにしよう。まさに、俺のようなインターネットに親しみながら育ってきた世代のためのゲームであり、当サイト読者の皆さまにもバッチリ合うと思われるので、まだ未プレイの方々には是非遊んでいただきたい作品である。例によって、ゲーム冒頭の1章をほぼ全てプレイできる体験版が配信されているため、少しでも興味を持った方はそちらからダウンロードしてみていただきたい。
――ところで。この「ネットハイ」に、俺はかつてないほどハマってしまったということで、かなり前から続編の発表を待ち続けているのであるが、残念ながら本作は売り上げ的に奮わなかったということもあり、1年が経った今となってもその作の声は聞こえてこない。まあ、個人的には1作遊べただけでも奇跡のようなものなのだが、できることならまた新しい作品で、あの世界観を味わい続けてみたいものである。“爆発”させなければならないネット界の悪も増えたことだしな…。
そんな感じで、本日は最近の俺の「ゲームの選び方」というものについて、書いてみたいと思う。
…やれ、俺も今から10年以上前は、主力である「ファイナルファンタジー」シリーズを中心として、皆が遊んでいるヒットタイトルのみに目を取られていたのだが、10代終盤〜20代前半の時期にはPS3/PSP時代が訪れ、発売されるタイトルの質が大きく異なるようになってきた。それでも、当時は「ファイナルファンタジー13」や「遊戯王5D's タッグフォース6」「モンスターハンターポータブル2ndG」など、歴史的なやり込みタイトルが多く登場していたため、それらを用いて耐え抜いていた。しかしながら、その後にPS3後半&Vita初期が訪れると、ソフト不足は更に加速する。PS3・PSP時代に人気を博したタイトルの多くが、種々の理由で直接の続編が出なくなり、俺はかなりの困窮に立たされた。この時期は、俺が就職をしてしまったこともあり、過去作タイトルを遊びながら、細々としたゲーマー生活を続けていた。この時に熱中したタイトルと言えば、せいぜいプレイ日誌も書いた「地球防衛軍4」くらいのものか。
――それから更に時を進め、PS4への移行期である。この頃になると、2014年末のFF13企画開始、PSPの「遊戯王アークファイブ
タッグフォース」の登場、PS4による「メタルギアソリッドV:ザ・ファントムペイン」の発売、そして前述の「ネットハイ」に代表されるVitaでの新規タイトルの躍進など、再び俺のゲーム生活は充実してきた。この時には、「仕事とゲームの両立」というものを完全に確立させていたように思う。まあ、前の職場が自分の時間が取りやすいところだったということもあるだろうが。はてはて、繰り返しになるが、俺は本当に転職なんかする必要があったのかねえ…。
そんなこんなで。「ゲームの選び方」というものについて俺が言えるのは、「ゲームは自分で選んだほうが楽しい」ということである。
…というのも。かつての俺は、確かに世間で名のある有名タイトルばかりを選んでいた。しかしながら、「ゲームの面白さ」というのは、その人の趣味趣向はもちろんとして、その時の心境や対応ハードなど、様々な要因によって左右される。つまり、人の数だけ傑作タイトルというものは存在するのである。だから、人の意見は確かに参考になるとはいえ、それに完全に左右されてしまうというのは良くないのだ。そもそも我々は、常に仕事面で誰かに振り回されている。「ゲーム」という趣味の領域くらい、自分の好き勝手に任せて遊んでも良いというものではないか。どうして、自分が好きでやっていることを、他人に左右されなければならないというのだ?
――まあ、もちろん。無名のタイトルを選ぶとなると、そこに“当たり外れ”という概念も出てくる。だが、自分で選んでそれで外れを引くのであれば、それはそれで仕方がないというものだ。そういう一喜一憂も、また「ゲーム」という文化が持つ一面である。我々は、もはや金銭的には余裕が出来ている。だから、「面白いゲーム」などというものは、他の誰でも無い、自分が決めるのである。例えば、「売り上げ」という矮小な基準をもってしては、自分は決して「ネットハイ」という傑作に出会うことができなかった。それは、「なんか面白そう」という自分の感性に従ったからこそ、巡り会うことができたのである。これからは、好きなゲームというものは、自分で選んで自分で決める。もうそういう時代が来ているのだ。
(2016年11月27日)
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