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管理人の日記
もう10月…だと……!?
【以前に使ったことのある画像】ですが、これしか無いと思いまして… |
皆さまは、「相席屋」という文化をご存じだろうか。なんでも、最近の社会で流行となっている飲み屋のスタイルらしい。本日は、これについて紹介をしていくことにしよう。
…まず、「相席屋(“あいせきや”)」とは、男女のグループがお互いに接して飲む居酒屋のことである。と、これだけを聞くと、まるでこれまで計画立てられてきた“合コン”が即席に開催されてしまうかのような錯覚を覚えてしまうが、それは大きな勘違いである。その実態は、決して両性の平等な出逢いを演出するようなものではない。そこには、居酒屋としての経営、そして男女の悲しい需要供給の違いなど、多くの理由が存在したのだ。
――やれ。俺は少し前に、この「相席屋」に行く機会があった。それは、表面的には「社会勉強」と銘打っていたのだが、どこかいわゆる“男女の出逢い”を期待していた節が無かったわけではない。だが、そんな俺の期待は、完膚無きまでに打ちのめされてしまったのである。というわけで。本日は、そんな俺の経験から、新たに発祥した「相席屋」というものについて紹介をしていくことにしよう。
まず。「相席屋」は、基本的に「@男のグループ」「A女のグループ」が別々に参加をするものとなっており、店側によってランダムでそれが組み合わされて、文字通りの「相席」=同じ席での宴会を行うものとなっている。では、果たしてそれの何が問題なのかと言うと。それは、男性側のほうが、ほぼ一方的に資金の提供を要求されることなのである!!
…まったく。この「相席屋」というのは、よく出来たシステムであり、男女のグループでの宴会を演出すると見せかけて、その資金提供は全て男性側が担うことになるのだ。これの何が問題なのか。それは、男性側は出会いを求めて参戦するが、女性側はタダで飲めるという理由から来店をするからである。これでは、まったくもって男女の需要と供給が見合っていない。やれ、そもそも「男女」というものは、どちらが優れているとかそういうことではなく、お互いがお互いを尊敬しあう気持ちがあって初めて成り立つものである。それを、片方が片方の弱みに付け込んで、一方的な出費を強いるようなことがあって、果たして本当に両性の信頼関係とやらが成り立つというものなのだろうか。また、店側としては、いわゆる“キャバ嬢”を雇う代わりに、相席屋に来店する女性たちで人件費をタダにできるという考えがあるのであろうが、これもまた、男・女・店で不平等な状況を助長しているとしか言いようが無いのである。
――やれ。個人を非難するつもりは無いのであるが、分かりやすさのために、あえて具体的な例を挙げてみることにしよう。俺が会社の同僚と共に「相席屋」に行った時に同じになった女性グループは、職業学校を卒業して久々に会う“看護師のグループ”ということだったのであるが、そもそもそういう特別な会を、いくらタダで飲めるからと言って、余計な部外者が入ってくる「相席屋」で実施をして良いものなのだろうか。また、彼女らは現役の「看護師」なのだというが、その会で話してみて、彼女らがその仕事を選んでいる理由や誇りなどは、何一つとして感じることができなかった。純粋に、「タダで飲めるから」という理由で、彼女らは相席屋に来ていたのだ。例えば、俺の妹なども看護師として働いているのだが、それと比べても雲泥の差である。そんな、就職面接のような会にどうして、人間的魅力などを感じることができるというのだろうか。
というわけで。この「相席屋」というシステムは、男/女/店の需要・供給の違いにより、根本的に成り立ってはいないのである。それは確かに、表向きには成立しているかのように見えるが、その実情を挙げてみれば、男性側の「出逢いが欲しい」、女性側の「タダで飲みたい」、そして店舗側の「安く嬢を雇いたい」という思惑の違いが存在し、まったく双方向の矢印が行き交ってはいないのである。
…やれ。そもそも俺に関しては、最初の段落にも書いたように、「社会勉強」と言い張りながらも、表面的にはどこか“男女の出会い”というものを期待していた。だが、そんな僅かばかりの期待は、粉々に打ち砕かれるに至ったのである。だって、彼女らは、そもそもとして「タダで飲める」というのを主たる目標としており、我々男性側の存在は、単なる“おまけ”程度にしか捉えられていなかったのだから。そんな、向こう側が圧倒的に有利な条約を結ばれて、まともな「出逢い」など期待できるはずが無いというものではないか。この「相席屋」は、確かに経営システムとしては成り立っている。だが、男女間の平等な出逢いの場としては、明らかに成立してはいないのである。我々は“おまけ”ではない。また、身体的欲求が満たされればあとはどうでも良いという単純な奴隷でもない。一個の人格を持った、人間なのである。
――まったく。俺は、「相席屋」について、会社の友人たちに連れられて、「この機会に行かなければ二度と訪れることは無いだろう!」という勉強の気持ちを主として訪れるに至った。そして、その「勉強」という意は、大いに果たされるにいたった。だが、もう二度と「相席屋」に行こうという気持ちは無くしてしまったのである。やれ、「相席屋」に関しては皆さまも、こういう不平等なシステムが社会で成り立っている実例として、一度は訪れてみる価値はあるというものだろう。だが、二回目以降は、皆さまの評価に任せるというものである。そもそも論として、俺は女性との出会いが不足しているというわけではない(?)のだ。所詮、俺のようなオタが、女性と人並みの恋愛を経験することなど不可能である。ならば、せめてオタクらしく、生きようではないか。
(2016年10月1日)
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