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管理人の日記
人混みに流されて変わっていく私 ← リア充乙、流される人混みが無いというのに
今の若者たちにオンライン化されているのは、辞書やエ○画像だけではない。最近では、思い出のアルバムさえもオンラインで共有するようになったのである。
――というのも、既に10年ほど前からカメラはデジタルが主流となり、多くの写真がデーター形式で記録されるようになったことは、皆さまご存じであろう。それに加えて、最近では「SkyDrive」や「Picasa」などの“オンラインストレージ”を使えば、パスワードを知っている者同士で写真を共有することができるようになった。最近の、やたらとカメラが高性能な携帯電話の普及も、その傾向を完全に後押ししている。・・・そうして現在では、写真を「撮る」「見る」だけでなく、「共有する」という新しい楽しみが生まれているのである。これは、世間では地味な扱いであるが、俺には「写真」という文明の大きな進化であるように思えるのだ。
というわけで。本日、ちょっとした機会があって、大学時代に所属していたサークルの「アルバム」を見てしまったのである・・・。
まったく、俺が「見てしまった」と表記した理由は、それこそ自明というものであろう。その写真の中では、懐かしいメンバーの皆が皆、さんさんと輝く笑顔を浮かべて映っているおり、見ていると目が潰れそうになってくるのである。あまりにも良い笑顔すぎて殺されそうになってきたので、仕方が無くこちらも「888」(【ニコニコ】/【Youtube】)あたりの邪悪なBGMを流して対抗することにした。関係無いけれど、ここ数日でΔMAX・ペンタエンド・888を無事クリアできたので、DP足18も残り5つとなりました。しかし、ゲーセンで右へ左へキタキタおやじのような体勢で走り回ったところで、いったい何が残ると言うのだろうか・・・。
――やれ。普通ならば、そういう写真を見て(;^o^)「ああ自分も昔はリア充だったんだなあ・・・」など過去を懐かしむところであるが、冷静になって考えてみると、それは写真に写っている人たちがリア充だというだけであって、別に俺が何かリア充に近づけたとかそういうことでは全く無いのである。まあ、今となっては過去の話であるし、そもそも俺の能力ではどうしようもなかったため、仕方無いというものなのであるが、しかしそういった「思い出」は、今の俺には深く突き刺さるものである・・・。
そんなわけで、「アルバム」という文化はデジタル化されて共有されるようになったのだが、あまりにも手軽に投稿と閲覧ができるようになった結果、場合によっては人を傷付ける凶器と化してしまうことも分かった。とりわけ、書籍という形ではなく、いつも使っているPC画面にそういった“割り切ることのできない「思い出」”が表示された場合の戸惑いは、なかなか筆舌に尽くしがたい感じである。しかし、そもそも俺が今まともな状態でないのは俺自身のせいであるため、写真には何の罪も無いというものである。まあ、過去は過去だと踏ん切りが付けられるように、これからの未来に良いことがあってほしいというものではないか・・・。
――ところで、インターネット上のアルバムには無い、「紙のアルバム」のみの利点というものも存在する。それは「寄せ書き」である。卒業アルバムの最終ページには、必ず真っ白な見開きが用意されているが、これはクラスメートなどから様々なコメントを書いてもらうためのページなのだ。それは、オンラインと違って離れてしまえばもう書けなくなること、自分だけの思い出となること、書籍という特別な空間に保存されることなどで、ネット上のアルバムとは一線を画している。「寄せ書き」は、印刷されたアルバムを自分だけの物にする、大切な作業なのだ。そこで、ふと俺の高校時代のアルバムをめくってみた結果・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
パターン@:真っ白だった
(ありがち)
パターンA:男しか居ない
(これもありがち)
パターンB:思い描いていた未来とあまりに違う
(New!!)
(2012年11月22日)
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