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管理人の日記
自転車は線の内側に止めよう?
ありとあらゆる分野に対して言えることだと思う |
本日は、「ふたりソロキャンプ」という漫画から、印象に残ったセリフを引用してみたい。
――まず、この漫画は、「キャンプ」をテーマとしたものであり、30代のおっさんと、20代前半の女子が、ひょんとしたことからキャンプをするようになる、ただし別々に…という、変わった設定の物語である。絵のレベルが高いうえ、キャンプ知識の解説部分が面白い。そのうえで、キャンプ方向にもラブコメ方向にも振り切れすぎず、人間関係のギスギスも無く、ちょうど良いバランスの作品となっている。機会があれば、ぜひ手にとってみてほしい。
で、本日は、この漫画を宣伝したかったのではなく、その中から心に残ったセリフを紹介してみるのだ。それは、2巻の第8話に登場する、「自分たちの遊び場を、自分たちで使いづらくするなんて、馬鹿みたいだ」という言葉である。
…まず、話の流れとして、作中で「直火」(地面に火種を直接置いて火を焚くこと)の話が出てきた。実は、キャンプ場においては、直火に限らず、火を焚く行為が禁止されていることがある。理由は、ゴミの放置・火災・地面への悪影響・周辺住民の苦情など、様々であるが、一言で表すと、利用者のマナーが悪かったからだ。こういう話が出るということは、恐らく、直火や焚き火が完全に禁止とされる前に、「こういう行為は迷惑なのでやめてください」と示されていた期間があったのだろう。それにも関わらず、マナー違反が続いたため、止むを得ず全面禁止に至った…という背景があるのだと推測される。
――そして。そういう状況に対し、主人公が「自分たちの遊び場を、自分たちで荒らして使いづらくするなんて、馬鹿みたいじゃないか」と嘆いているのだ。キャンプは遊びなのに、いや遊びだからこそ、マナーとルールを守って楽しく行わなければならない。逆に、それを自分たちから破壊して、結果として規制強化などの形で前よりも遊びづらくするのは、まったくもって悲しいことなのである。
そして。これは、キャンプに限らず、どの分野にも通じる至言だと思うのだ。
…やれ、この手の状況を表す言葉としては、「厄介オタク」「無能な味方」「コンテンツの一生」など、様々なものがある。意味は全て同じであり、「迷惑行為を繰り返す“身内”が存在する」というものだ。インターネット時代では、こういう輩がやたらと悪目立ちをするため、あえて具体例は挙げなくとも、誰にでも思い当たる節があるというものだろう。
――そして、何故こういう者が迷惑かも説明してみよう。まず、こういう輩は、傍若無人な言動を繰り返し、その分野自体の評判を悪くする。悪いのはそいつだけなのだが、どうしても扱っているテーマ自体への印象も下がってしまうのだ。そのため、何かの評判を下げたい時は、相手側の陣営になりすまし、迷惑な言動をしつこく繰り返すことが一番とまで言われている。
そして、厄介勢の行動により、上で挙げた「キャンプにおける火の全面禁止」のように、実害がもたらされる場合すらある。禁止されるべきなのは厄介勢の行動だけなのだが、どうしてもそういう規制はできないため、全体を制限せざるを得なのだ。こうして、多数派の「ルールとマナーを守って楽しんでいる人たち」の行動が萎縮し、やがては分野自体が衰退していくのである。
カレクックを貼りたかっただけでは…? |
そういうわけで。私も、今回の「自分たちの遊び場を、自分たちで使いづらくするなんて、馬鹿みたいだ」という言葉を、肝に銘じておきたい。
…ちなみに、世の中には、このような状況に対する批判の表現も、よく知られている。例えば、「恥を知れ」という短い言葉がある。あまり使っている人を見たことがないが、これは「恥ずかしいことを恥ずかしいと認識し、それをやらないようにしなさい」という意味であり、多くの場合は、“それが出来ていないこと”に対する批判として用いられる。恥を知っていれば、わざわざルールや法律などで明文化されなくても、駄目なことはやらないのである。
――また、アメリカ大統領であるケネディは「『国が自分に何かをしてくれる』ということではなく、『自分が国のために何ができるか』を考えてほしい」という言葉を残している。これも色々な解釈があるのだが、私は「自分から国や人々のために良いことをすれば、回り回って、自分にも良いことをしてくれる人が現れる」という意味だと捉えている。その逆も然りであり、自分からルールを無視して火で遊んでいたら、回り回って焚き火が全面禁止となり、自分が不利益を被ることになるのだ。その他、「お天道様が見ている」「KY(空気読め)」などもあり、言い始めるとキリが無いものだ。
そういうわけで。キャンプは、あくまで遊びだが、それでもマナーを守ることは重要である。当然、その他の社会活動でも同じだ。これはもう、明文化されているされていないに関わらず、「道徳」レベルの話だ。もちろん、私自身も、必ずしも全て行えているなどとは思い上がっていない。そのため、「社会」という“遊び場”を台無しにしないよう、気を付けて生きるようにしていきたい。
…ちなみに。最後の最後で話が逸れるのだが、私はこういう不道徳な人間に対する憎しみが凄まじい。何かしら人が集まると、必ず「自分さえ良ければいい」という輩が少数出てきて、生活のレベルを下げられてしまう。その不条理に対して、人一倍の憤怒をいだいていると思う。
――だが、人は、自分が正義だと信じているときに、最も残虐になれるという性質を持っている。だから、不躾な連中に、ガラムマサラサミング〜ッ!
をするのは、心の中だけに留めておいて、何とか我慢をしなければならない。やはり、私は大勢とはあまり関わらない生活をしたいかな…。
(2021年11月14日)
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