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管理人の日記
過去進行形? それとも過去完了?
好きとか嫌いとか言ってるリア充どもに「今も好き」というフレーズでこの画像を思い出す呪いをかけといた |
俺は仕事の都合で去年から新潟で暮らしているが、今月1ヶ月は出張ということで、今は埼玉に滞在している。埼玉と言えば東京も同然、そして東京と言えば、俺が大学時代の6年間(笑)を過ごした懐かしい場所である。俺は、それを「あの頃は良かった」などと有り触れた言葉で形容するつもりは無いが、少なくとも今よりは“自分だけにしかできないこと”をやれていた時間だったように思う。ほら、日記の更新回数も多かったしな…。
――話を元に戻そう。今回は埼玉出張が1ヶ月ということで、当然土日の休みも含んでいる。となると、当然懐かしい昔の友人に会えるチャンスもあるかもしれない。が、そこで俺は、「昔の友人」を誘うことに尻込みしてしまうのだ。理由は簡単で、「もう、当時のような気持ちで会えないから」である。
…やれ、社会に認められることは無かったけれども、過去の俺はそれなりに魅力のある人間だった(と思う)。しかしながら、そんな俺も社会の錆び付いた歯車になってしまい、最大の個性であった日記も今や壊滅状態になってしまった。そんな俺が、胸を張って過去の友人に会えるものか。俺は、未だに「大学時代」というものに対する感情を整理できずにいる。それと同じで、「過去の友人」というものをどう位置付けるかということも、今の俺にとっては大きな悩みの種となっているのだ。
と、そんな感じに俺は思っているのだが…ハッキリ言ってそれは杞憂というものだろう。そもそも、相手が本当の友人であれば、(;^o^)「嫌われちゃうかも…」などと考える必要は無いだろう。俺が「友人」という言葉で浮かんでくる懐かしい顔の中には、そんな細かいことを気にする人は居ない。彼らは「気の置けない」=「気を遣わなくても良い」仲間である。彼らとならば、明日からいきなり大学生活を再開しろと言われても、まるでずっと一緒だったかのように関係を再開できる気さえする。前に会った時には、そこまでの親近感を感じたのだ。
…だから、である。きっと“正確な位置”は10年20年が経ってからでないと分からないのだろうけれども、俺の旧知の仲である「大学時代の友人」は、俺にとって唯一無二の人間関係となるはずである。あの時の友は永遠の友となり、先輩後輩はずっと先輩後輩で、当時気にかけていた人は何時までも憧れの人だ。彼らほどの輝きを誇る人は、きっとこれから先の人生では現れまい。俺にとって、「過去の友人」は、そういう位置に収まりつつあるのだ。
――だから、もちろん今回の埼玉出張の機会を使って彼らに会えれば嬉しいのだが、実は今さら会っても会わなくても関係は変わらないのである。彼らには、それくらいの安定感があるのだ。ナメるなよ、「永遠の友」と呼ぶほどだぞ?
まあ、何はともあれ。毎日の忙しい生活の中では、そこまで気にする余裕が無いというのも事実である。やはり、こういうキツい仕事をやっていると、思考も原始的な欲求に従って来ざるを得なくなるのだ。ほら、ゲームをやりながらゆっくり休んだり、おいしいものを満腹食べてゴロゴロしたり…。
…つまり、冒頭の画像風に言えば、である。「今も、好きだ――」ではない。「今は、寿司だ――」。
(2014年9月2日)
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