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管理人の日記
あなたが芸術だと思ったものが芸術なのです ← 結論
上の絵は、あの有名なアドルフ・ヒトラーが描いた作品である。彼は、若い頃に画家を目指していたのだ。ところで皆さまは、この絵を見てどのような印象を持つだろうか?
恐らく、多くの人は(;・∀・)「確かに上手いけど、なんか面白みに欠けるな・・・」と思うことだろう。実際、当時の評価もその程度であり、それを聞いた彼は画家への道を諦めてしまったそうだ。なお、その後の彼は、ドイツが第一次世界大戦に敗北して悲惨な姿になってしまったことを目にし、その後の世界を大きく左右する決断を下していくわけであるが・・・その件に関しては、また日を改めて扱うことにしよう。
・・・というわけで、本日のテーマは「芸術」である。やれ、芸術作品と言われてもサッパリという人が大半であろうし、俺も全く意味が分からない。とりわけ、ただ適当に絵の具を塗りたくっただけのような絵画が何億という価格で取引されているニュースを聞くと、もう堪らない理不尽さを感じてしまう。それくらいの絵ならば我々でも描けるし、ならば我々の絵が数億で取引されても良いはずなのだ。
――だが、実際にはそうはならず、芸術家の絵は「芸術」として扱われ、我々の絵はただヘタクソなだけになってしまう。では、「芸術」とそうでない物の違いは、果たしてどういうところにあるのだろうか?
ここで、「芸術」というものを読み解くキーとして、一つの例を挙げてみることにしよう。例えば、俺が「ちんこ」とだけ書いた日記を更新したとする。すると読者の皆さまは、(
・∀・)「ああ、ちんこね」と納得し、それで終わりにしてしまうはずだ。だが、もし「源氏物語」に「ちんこ」とだけ書かれた巻が見つかったとしたら、果たしてどうなるだろうか。それはもう、(;w∀w)「なぜ『ちんこ』なのか?
どうしてこのタイミングで『ちんこ』なのか?
『ちんこ』としか書かれてないが、この『ちんこ』はどういうことを示唆しているのか?
ちんこちんこちんこ!!」と世間は大騒ぎになることであろう。同じちんこなのに人によってここまで扱いが違うのである。実に理不尽だ。理不尽で理不尽で仕方が無い・・・。
さて、この例から分かることは、つまり「芸術」とは内容以上に「その背景」が重要になるということである。我々がヘタクソな絵を書いたとしても、それは単にヘタクソなだけで終わってしまうが、上手い人がヘタクソな絵を書けば、「この絵で何を表現しようとしているのか」という考察の余地が生まれてくる。そのように「受け手に何らかの感情を抱かせる」ことこそが、芸術が持つ真の価値と言えるのだ。例えば、ピカソは普通の絵がとてつもなく上手く描けるからこそ、あのような捻くれた作風が評価されるのであるし、近年の例を挙げてみれば、初代「エヴァンゲリオン」の最終話なんかは、単純に見れば作品崩壊・意味不明な形での完結と言わざるを得ないが、その滅茶苦茶な内容がファンの間で話題となり、今なお多くの人に語り継がれるシーンとなっている。それは、いわゆる「芸術」が話題になるカラクリと、大差は無いというものだろう。
――やれ、このような「芸術」について、皆さまの中には「裸の王様」だと捉える人も居るかもしれない。つまり、ヘタクソな絵に適当な理由を付けて祭り上げているだけで、作品それ自体には何の価値も無いということである。しかし先ほども言った通り、芸術の価値は「受け手」が決めるものであり、それは歴史・背景・経験・知識など様々な要素に左右されてしまうため、部外者がわざわざ水を差すことはできず、その必要も無いというものだ。まあ、正直めちゃくちゃに高い絵画なんかは、「金持ちの道楽」か、はたまた「マネーロンダリングの手段」くらいにしか思えないのであるが・・・。
結局、「芸術」とはよく分からないもので、「よく分からないからこそ人々の記憶に残り、価値が出てくるもの」(?)だということが分かった。だからこそ、「芸術」の定義というものは実に難しく、せいぜい「我々の間に感情を抱かせるもの」くらいに表現するのが限界である。恐らく、今回のような「芸術とは何か」という議論は昔から散々行われてきて、そして未だに結論が出ていないのだろう。さらに言えば、こうやって議論を巻き起こしている時点で「芸術」は更にその名声を高めているため、もはや何をやっても無駄という感じである・・・。
――が、そうやって「人それぞれ」で終わらせてしまったら、この文章を書いた意味は無い。そこで本日は、俺なりに「芸術」というものを定義した画像を載せてみることにしよう。芸術とは・・・つまり、こういうことだ!!
(2013年1月30日)
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