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管理人の日記
どういうことなのだが?
本日の日記では「変な語尾」というものをテーマにしてみるのだが? それに従い、それらの「変な語尾」というものを、今日は実際に使ってみることにするのだが? やれ、かなり読みづらいのだが、まあそういうテーマということで我慢して欲しいのだが? だいたい普段の俺も「だ」と「である」をほぼ交互に使っているため、特に読みづらくは無いはずだが? 既に十分うざいのだが?
・・・まったく、このような「変な語尾」が流行るのには理由がある←読者。それは、「キャラ立て」ができるということだ←そのキャラクター。「喋り方」というものには、性格や歩んできた人生というものがかなり反映される←その人物。とりわけ、“短期間で人物を印象付ける”ということが重要な文化では、それが多く多用されるのだ←漫画・アニメ。ありがちである←世間。まあ、もしこのような技法が世間の人々に愛されていないのであれば、そこまで使われてはいないというものだろう←反語。読みづらすぎじゃね?←主語を最後にするこの語尾。しかも体言止め←語法。
――しかし、このような語尾もあまり使いすぎるとうざくなってしまうだろうなぁ・・・。何事も程度が大切だよ・・・。「ベタ」ということは、そもそも世間では有り触れた技法だろう・・・。だから、その喋り方以外の部分で何らかの「個性」を出さなければならない・・・。それは、安直な理由で「変な語尾」を使う人にとっては、より苦しい道となってしまうことだろうよ・・・。
しかし、である。そのような「変な語尾」を使ってしまうのには、ちゃんとした理由が存在するのである。というのも、文章というものは、同じ語尾ばかりだとベタベタして読みづらくなってしまうのである。この日記でもそうである。さらに、小説・漫画の会話シーンなどでは、文字だけを使って人物を表現しなければならないのである。そうなると、様々な語尾を用いてキャラクター性を表さなければならないのである。具体的な例を挙げてみると、例えば「本日は晴天である」「そうである」「天気晴朗なれでも波高しなのである」という口調の3人が喋っているのであれば、誰が話しているのか分からなくなってしまうのである。だから俺も日記を書く時に、「だ」と「である」を交互に使うようにしているのである。このルールにはかなり苦しめられているのであるが、長い文章を書くには、そのような工夫が必要なのである。分かったである?
・・・だが、上にも書いた通りだにゃー。このような手法は、いわゆる「有り触れたもの」となっているのだにゃー。だからだにゃー、安直に使ってしまえば個性を出すどころか逆に無個性となってしまうのだにゃー。分かるだにゃー? まあこの国にはだにゃ、教科書に載るような小説家が「吾輩は猫である」(なわけ無いにゃ)などと題して擬猫化した立場から随筆を書いてしまうような環境にゃので、仕方無いとも言えるかもしれないのだにゃー。しかし、皆さまの理想のネコと違ってだにゃ、実在ネコは怒ってすぐに引っ掻いてくるくせにエサをあげる時だけ喉をゴロゴロ鳴らすという打算家であるため、あまり信頼できないんだにゃ・・・。
――ま、文章の書き方なんて人それぞれだよね(´・ω・`) 例えば、つい先日に発表された芥川賞受賞の「abさんご」なんかはさ(´・ω・`) “カタカナ”を一切使わずに、読者に想像の余地を持たせた意欲的作品なんだよね(´・ω・`) だから、俺も様々な挑戦心さえあれば、いつかは世間に誇れる賞を取れるはずなんだ!!(`・ω・´) まあそんな妄想もしたりはするよね・・・(´・ω・`) 顔文字ウザいよ・・・(´;ω;`)
と、そんな感じナリ。要するに、「変な語尾」を使うということはウザいナリ。しかし、それはそれで諸般の理由があるということも分かったのでナリ・・・。
――まあ、「語尾」みたいなものは面白いみたいで、それみたいで人の性格みたいなものを測れるみたいな。しかし、使いすぎるみたいなことはかえって逆効果になってしまうみたいということも分かったみたいな。だから、是非とも皆さまみたいな人みたいには、使いどころに気を付けて欲しいみたいな? いったい何みたいだったみたいなんだ今日みたいな日記みたいなみたいは・・・。
(2013年1月17日)
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