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謎の言葉:「ワンチャン」 / やり込みinFF

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管理人の日記
謎い!!!

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 いま、若者たちの間で、「ワンチャン」なる言葉が流行している。が、これが俺にとっては歴代最強クラスに意味の分からない言葉となっているのである。
 ・・・やれ、「流行の言葉に着いていけなくなる」ということ自体は、まったくもってよくあることである。しかし、「ナウい」「チョベリバ」「ググる」「とりま」「アーキテクチャ」など、今までの「流行語」というものは、とりあえずは既存の言葉で置き換えられる場合がほとんどであった。が、「ワンチャン」は、今までのどんな概念にも当てはめることができず、本当に全く意味が分からないのである。
 ――まあ、正直に述べると、この言葉に関しては、俺も意味が分からないことしか分からないので、その謎を詳細に説明することは不可能である。もし、あなたがTwitterのアカウントを持っているのなら、試しに「ワンチャン」という言葉で検索してみると良いだろう。そこには、同じ言語で話しているとは思えないような異空間が広がっているのである。「ワンチャン」・・・恐ろしい子!

 では、「ワンチャン」という言語を、まずはその根底から説明してみることにしよう。調べてみたところ、どうやら「ワンチャン」とは、「ワンチャンス(“one chance”)を語源とする言葉であるようだ。だから、例えばゲームなどをプレイしていて、「もう1回攻撃できれば勝てる!」という状況の時に、「ワンチャン来い!」などと使うのは、まったくもって正しいことである。が、その程度の概念ではこの言葉を理解することはできないのである。
 ・・・というのも、どうやら「ワンチャン」には「ワンチャンある」という活用系(?)が存在するらしく、どうやらそれは「チャンスがある・可能性がある」といった意味を表すようだ。具体的な例で言えば、「女の子をデートに誘ってワンチャン!」という文章であれば、それは「女の子をデートに誘って告白します。OKされたら嬉しいな!」という意味である(と思われる)。また、「徹夜試験ワンチャン」ならば、「寝ないで明日の試験を受けます。単位は取れるかな?」という意味であろう。やれ、ここで(;・∀・)「じゃあ『ワンチャン』なんて使わないで『チャンスがある』と書けば良くね?」などという正論を決して言ってはいけない。

 とまあ、そんな感じで、原則に従って使用すれば、「ワンチャン」も決して意味不明な言葉にはならないのであるが・・・問題は「肯定でも否定でも無い言葉に『ワンチャン』と付ける場合」である。例えば、「今日巣鴨にワンチャンwwww」と言われても、それは「どうやら巣鴨に行くらしい」ということ以外は全く意味が分からないという感じになっているのである。
 ・・・そして、まだ有るのだ。その他にも、「ワンチャン」という言葉を、「ひょっとしたら」という意味の副詞として利用したり、更に転じて「肯定的な意味全般を表す単語」として今までの品詞に囚われない存在として利用する場合まで出てきている。それはもはや、今までの概念ではまるで理解ができないと言わざるを得ない。例えば、「ワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンwwwww」という文章は、「『ワンチャン!?』というカード(遊戯王に実在する)には」「ひょっとしたら」「活躍できる可能性があるかもしれない」「(特に意味の無い感嘆詞)という意味として、文法的には伝わらなければならない言葉となってしまっているのである。
 ――なお、このような議論をしていると、皆さまの中には(;・∀・)「どうせ特に意味も無く『ワンチャン』と言っているだけなのでは?」と考える人も出てくるであろう。だが、それは言語学的には決してやってはいけないことである。我々は、ある種の言語を「わけがわからないよ」と無下にするのではなく、その言語とそれが生まれた文化的背景をまるごと理解しなければならないのだ。つまり、「ワンチャン」がワンチャンワンチャンしたワンチャンには、それがワンチャンされるワンチャンがあったということで・・・駄目だ・・・やっぱり意味が分からん・・・。

 というわけで、俺の結論としては、これはもう奇語として割り切っていくしか無いと思うのである。「ワンチャン」は、上で書いたように、もはや使っているほうも意味を把握できていないため、その解釈は歴史に委ねるしかない。なんかもう憲法みたいな話になってきたが、言葉とはそういうものである(?)。もしかしたら、この国の国歌のほうも、「君が代は / 千代に八千代に / さざれ石の / 巌となりて / ワンチャンあるで」などという哲学的な歌詞にしてしまえば、最後の部分だけで凄まじいまでに解釈の幅が広がるという、まさにこの国の短歌らしい姿になるかもしれない(?)
 ――何はともあれ、確かに「ワンチャン」という言葉自体は意味不明であるし、それを得意気に使っている姿を見ると、部外者からはムッとしてしまうようなものかもしれない。しかしそういう場合にも、わざわざイラつくのではなく、むしろ「問:下線部『ワンチャン』の指示内容を答えなさい(3点)というある種の問題として捉えるくらいの余裕があっても良いのではないだろうか。これは、言語界からの挑戦状であり、「古典」ならぬ「新典」ないしは「奇典」なのだ。そういう時こそ、当サイト読者の皆さまには、“機転”を利かせてほしいものである・・・。

(2012年9月2日)

登録タグ/ 文章制作の話 哲学
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