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FF8の思い出 / やり込みinFF

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管理人の日記
あれ、「6月31日」じゃない・・・。

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 PS:「ファイナルファンタジー8」は、「FF」シリーズの8作目であり、俺が初めて「やり込み」を行ったタイトルでもある。その意味で、当サイトの原点とも言えるタイトルであり、俺としても非常に思い出深い作品だ。
 ・・・まず、基本事項を確認しておこう。「FF8」は、プレイステーション用ソフトとして1999年に発売されたタイトルである。前作『7』が、PSにハードを移して世界的な大ヒットを収めたということで、『8』はPSにおける2作目として開発が為された。その「グラフィック」は、PS本体の性能を引き出して前作よりも遙かに美しく斬新な表現が実現されており、また「システム」も、魔法や召喚獣を「装備品」として使用する新たなアプローチが取られており、敵モンスターもまるでマンネリが無い魅力的なメンツが揃っていた。その他、シナリオやBGMに関しても人気が高く、『8』は今なおシリーズの大傑作として、思い出に残る作品となっている。
 ――と、俺は思うのであるが、なんとこの「FF8」は、世間ではクソゲーの代表格として評価されてしまっているのである。まったく、このように1999年当時としては絶句級の質を誇り、今なおシリーズ中でも異彩を放っているタイトルが、どうして「クソゲー」と呼ばれてしまったのだろうか? 本日は、そんなところから、「FF」シリーズやゲーム界全般について考えてみることにしよう・・・。

 さて、FF8が「クソゲー」と呼ばれてしまった最も大きな理由、それはシステムの分かりづらさである。
 ・・・というのも、FF8における「魔法をパラメーターに装備する」という要素は、それまでのゲームでは全く存在しなかったものであり、多くのユーザーを困惑させるに至ってしまった。そしてこのFF8では、敵を倒すと経験値を得て「レベル」を上げることができるのだが、敵の「レベル」も味方と連動して上がるため、結果としてレベルを上げるだけでは全く有利にならないということになってしまう。また、FF8の最大の特徴とも言える「特殊技」は、「瀕死時に低確率で出せる技」という説明しか為されていなかったため、HPを回復して安全圏から戦う一般ユーザーにとっては、滅多に目にすることが無い技となっていた。さらに、歴代シリーズで強力な攻撃手段として活躍してきた「召喚獣」を、『8』ではほぼノーコストで使用できるのであるが、その演出が30秒程度とかなり長く、しかも2回目以降のスキップ機能なども無いため、従来シリーズの印象で召喚獣を連打して戦っていたユーザーにとっては、「長ったらしい演出をひたすら見せつけられるだけのクソゲー」と化してしまったのである。
 ――だが、もちろんそれがFF8の真の姿というわけではなく、それらのシステムを利用した『8』ならではの楽しみ方も存在する。だから、FF8が悪かったのは、システムそのものではなく、その「分かりづらさ」だったのである。例えば、敵を倒すなどして素材アイテムを入手し、その素材から魔法を作るという「精製」は、ゲーム性の根幹となってもおかしくないくらいのシステムであるが、作中ではそれについての説明がほとんど為されず、その有用性に気付くことができないユーザーが続出した。また、爽快かつ強力な「特殊技」は、「HPが低い時にターンが回ってくると一定確率で発動できる」という技として説明されていたのであるが、実はボタンでターンを回すと再び発動判定が行われる」という裏技的テクニックが存在し、それを知っていると知らないとでは有用性に雲泥の差が出てきてしまう。このように、ゲームバランスを大きく左右しうるシステムが非常に分かりづらいというのが、FF8の唯一にして最大の問題点だったのである。

 まあ、俺のように新しいもの好きのユーザーにとっては、むしろこのようにシステム回りを一新するのはもってこいという話なのであるが、しかし世の中のユーザーの大半はそうではなく、いわゆる“シンプル”なものを求めている。だからこそ、「新しいものを提供してやろう」とした制作側と、「今まで通りのRPGが遊びたい」というユーザーの考えが行き違ってしまった『8』は、結果として悲劇の作品になってしまったのである。
 ・・・さて、FF8の最大の失敗点は、システムが大きく変わったのに昔のものを残してしまったということかもしれない。例えば、「レベル」であれば、誰でもそれを上げれば強くなると思うだろうし、「魔法」「召喚獣」は、コストを払う強力な攻撃と考えるであろう。だが、それらはFF8においては、そこまで重要な物とはなっていない。だから、もし現代風にFF8を作り直すのであれば、思い切って「レベル」を廃止するような改革をしたほうが良いであろう。そうやってシンプルにしても、ゲーム性が落ちないどころかむしろ洗練されるということは、パラメーターが3つしか無いFF13の例を考えていただければ、よく分かるというものである。
 ――ちなみに、FF8が「クソゲー」と評価されている理由のもう一つに、「シナリオ」があるのだが・・・これは俺としては全く賛同できないと言わざるを得ない。メインとなるキャラクターは全員が魅力的であり、美麗グラフィックで語られる「魔女」をテーマとした物語は極めて印象的なものである。演出が長すぎてダレるようなことも無く、無愛想であった主人公:「スコール」が徐々に心を開いていくという展開も、異端というよりはむしろ「王道」に近いものであり、自然な流れで理解することができる。そして、サブシナリオやミニゲームなどの「やり込み要素」も充実しており、遊べば遊ぶほどのめり込むことができる。だから、そのような『8』のシナリオが非難されている理由が、俺には全く分からないのである。むしろ、主軸となる大きな筋が通っていて、シリーズの中でも強く印象に残るものであると思うのだが・・・。

 とまあ、そんなわけで。この「ファイナルファンタジー8」は、発売当時は「クソゲー」として評価されてしまったものの、決して“出来の悪いゲーム”というわけではなく、むしろちゃんと理解して遊べば歴史的傑作間違い無しという作品である。むしろ今では、そういった賛否両論の様々な声もまで含めて、「FF8」は話題の絶えない名作になっているという気さえしてしまうのだ。
 ――さて、「FF8」は、このようにゲーム界全体にとって大きな意味を持つ作品であり、また俺にとっても、ジャンクションなしクリアーという「やり込み」を初めてやった作品として、とても意義深いものとなっている。さて、前回プレイ日誌の連載から既に5年が経ったことだし、そろそろ再プレイを行っても良いというものであろう。やれ、既に原作の発売から10年以上が経ち、我々は「大人」であると思っていたスコールたちの年齢を遙かに超え、「ゲーム」というものに対する印象も変わり果ててしまった。そんな中で、FF8はどのような魅力を放ってくれるのだろうか。今から、それが楽しみである。

(2012年6月30日)

登録タグ/ ゲーム一般 FF8
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