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【聖戦】お〜いお茶 vs お〜い原発 / やり込みinFF

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管理人の日記
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 皆さま、本日のニュースをご覧になっただろうか。なんと、あのお〜い原発が再稼働するというのである。やれ、こんな“その場しのぎ”の策が通る、だと・・・?
 ・・・というのも、大阪の行政と言うと、これまではあの橋下氏が( w∀w)「民主党○ね!お前らの思い通りには絶対させてやんねー!!ww」と政府方針に強く反発していたため、この夏の原発再稼働は無いものであると多くの人に思われていた。が、それが本日いきなり一転し、「再稼働を容認する」と言い始めたのである。これは、とても大きな方針転換であり、もしマニフェストであれば即再選挙レベルの話であろう。
 ――まあ、俺のこのニュースを聞いた時の個人的な感想を述べると、とりあえずこれで今年の関西大停電は避けられたということで、ほっと一息という感じであった。やはり、電気の塊のような生活をしている俺にとっては、「電気代が上がるうえに、しかも電気が満足に使えない」という状況は避けたいのである。とはいえ、これで原発・電力・エネルギーなどの問題が解決したというわけではなく、あくまでも“その場しのぎ”が例外的に認められたにすぎない。だから、今後もこのような都合の良い話が続くことは無いと考えたほうが良いであろう。さて、今後の日本の電力行政は、果たしてどうなっていくことやら・・・。

 ところで、電気が流れなくなると、果たして何が起こるのだろうか。まずは、皆さま愛用のパソコンは動かなくなり、ゲーム機・テレビもその全てがアウトである。携帯ゲーム機・携帯電話・スマートフォンは動くから大丈夫!・・・と言いたいところであるが、基本的にそれらのサービスも電気を介して配信されているため、大本が停電してしまえばアウトである。もちろん、機器の充電池が切れてもゲームセットだ。その他、給湯や電子レンジなどで電気を使っている人は、それらの機器が全く動かなくなり、満足に調理を行うこともできない。そして、生活必需品の「冷蔵庫」や「お風呂」も、その全てが終了になってしまう。
 ・・・とまあ、ここまでの個人レベルであれば、停電が起こったとしても、「生活が不便になる」という程度で済むのであるが・・・視点を社会に向けてみると、その影響は更に大きくなってしまう。まず、「電車」は文字通り電気を使って動いているということで、電気が無くなれば全く何も動かない。また、ほとんどの商店・職場・工場は、電気をフル活用して業務を行っているため、電気なしではそれらの事業が全く機能しなくなり、社会全体が深刻な機能不全に陥る。そして医療現場では、僅か数分の停電であっても、重病者の生命維持に深刻な障害をもたらしてしまう。その他、この国は暑さ・寒さというのも馬鹿にならないため、冷暖房が停止することにより、非常に大きなストレスを与えられることになる。例えば俺の部屋は、窓が一つしか無いため全く風が通らず、しかもプライバシーの観点から日中夜間を問わずにカーテンを閉め切っており、また近隣が極めて近いため音が鳴る作業をする時には必ず窓を閉めなければならない。こんな俺には、もう冷房を使う以外の手は無いのだ。こういう、冷房を前提とした住宅環境に居る人も、都会には少なくないというものであろう。
 ――やれ、前にも書いたように【2012/5/14】、このような現実を目にして、それでも「停電が起こっても我慢をすれば何とかなる」と考えている人は、まったく認識が甘すぎるというものである。もし、恒久的な電力不足によって、定期的に停電が引き起こされるようなことがあれば、この社会の文化水準自体が著しく衰退してしまうことであろう。そして、その“しわ寄せ”は、間違い無く「若者」「高齢者」と言った弱者へと向けられてしまうのだ。まったく、今以上に我々たちが虐げられるようなことが、果たして有っても良いのであろうか・・・?

 さて、ここで話を一変させてみることにしよう。それは、「電気が無い時代の生活」というものである。
 というのも、日本に電気が普及したのは明治時代のあたりであり、それ以前の時期は全く電気ゼロで生活し続けてきたということになる。では、それらの生活が豊かだったかと言うと・・・まあ言ってしまえば、江戸時代の日本の人口は3000万人程度であり、一応は生活していける程度には豊かであったものの、「やませ」などの異常気象が生じると、あっという間に経済が崩壊してしまうほどの脆弱な社会であった。もちろん、それに比べれば、その4倍の人々が安定して生活していける現在が、遙かに豊かで安定していることは間違い無い。その大きな一翼を担っているのが「電気」だということは、今さら疑いようも無い事実なのである。
 ――が、である。「平安」とかいう先カンブリア時代には、電気が無かったからこそ、ブサイク&器量不足の姫君が、その純粋さにより絶世の君に引き取られたというパターン(※創作物語中の例)が存在するのである。それは、「源氏物語」の末摘花(“すえつむはな”)の話であり、光源氏が関係を持った後の朝になって初めて顔を見た後に仰天し、逆に印象に残って放っておけなくなってしまったのだという。これは、「電気が無い」「女性は無闇に顔を見せない」というオルドビス紀だからこそ成り立ったという話であろう。だが、もし現代でも電気が無くなれば、俺のようなブサイク&器量不足でも、絶世の美女と恋愛ができるかもしれないというものである。そう考えると、この醜悪な電力不足にも、一縷の希望が見えてくるというものではないだろうか。さあみんな、この夏こそ狙い目である!! 何この結論・・・。


(2012年5月31日)

登録タグ/ 社会一般
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